謎多き女ナターシャ、その禊(みそぎ)の物語。/映画『ブラック・ウィドウ』

ブラック・ウィドウ (監督:ケイト・ショートランド 2021年アメリカ映画)

f:id:globalhead:20210711093600j:plain

KGB最高の女殺し屋にしてS.H.I.E.L.D.きってのスーパー・エージェント、抜群の身体能力と類まれなる美貌を持つアベンジャーズの一員、ブラック・ウィドウことナターシャ・ロマノフ。『アイアンマン2』で登場して以来多くのファンを魅了し続けてきた彼女は『アベンジャーズ/エンドゲーム』における衝撃の選択により舞台から姿を消す。多くの謎に包まれた彼女の半生に、いったい何があったのか?映画『ブラック・ウィドウ』はそんな彼女にスポットライトを当て、ブラック・ウィドウの真実の姿を明らかにする。今回は若干ネタバレあり。

2020年公開の予定でありながら度重なる公開延期を繰り返し、今回ようやく『ブラック・ウィドウ』が公開される。思えばMCU作品で最後に劇場公開された作品が2019年の『スパイダーマン:ファー・フロム・ホーム』だから、ほぼ2年ぶりのMCU映画公開となるのだ。正直以前なら「またMCUか、また世界の危機なのか」と若干鼻白んでいたものだが、これだけ間が空くと久しぶりのMCU映画公開に心も踊り期待も高まるというものだ。さてそんな『ブラック・ウィドウ』、どんな物語なのだろうか。 

《物語》物語冒頭はKGBスリーパーセルとしてアメリカで疑似家族として暮らすナターシャ一家の逃避行から始まる。そこから時代は飛び、『シビル・ウォー キャプテン・アメリカ』におけるアベンジャーズ分裂により隠密生活を余儀なくされるナターシャの姿が描かれる。しかしそんなナターシャに襲い掛かる恐るべき暗殺者の姿が。それはかつてナターシャを暗殺者に育て上げたスパイ組織「レッドルーム」最凶の殺し屋、タスクマスターだった。襲撃の理由がナターシャの妹、エレーナにあることを知ったナターシャは、エレーナの潜伏するブダペストに飛ぶ。

ここで展開する物語は『レッド・スパロー』や『アトミック・ブロンド』の如き女性スパイ・アクションである。他のアベンジャーズ・メンバーと違いスーパーパワーを持つわけではないナターシャの物語となればこれは順当な展開だろう。かつて彼女を殺し屋として育て忌まわしい任務に就かせていたスパイ組織レッドルームが彼女を亡き者のせんと襲い掛かるのだ。こういった女性スパイ・アクションは他にも『ソルト』『ハンナ』『ANNA アナ』など多数制作されており、これらと見比べてみるのも一興だろう。

展開するアクションは『ミッション・インポッシブル』シリーズをも彷彿させるド派手で手に汗握るものであり、自らを育て上げた組織との敵対は「ジェイソン・ボーン」シリーズを思わせるだろう。巨大なる陰謀と強大なる敵、錯綜する謎と裏切りはスパイ・ストーリーの面目躍如だ。ただし多くのスパイ・アクションと違うのはこれがMCU映画の一作であり、その世界観にコミック作品的な荒唐無稽さが持ち込まれることである。その大味さがスパイ・アクションとしての緊張感を殺ぐことになるが、かつての『007』作品の如き大風呂敷として楽しめばいいのかもしれない。

とはいえこの作品、アクションの連打連打で畳みかける痛快作として進行してゆくのかと思ったらそうではないのだ。それはかつての「疑似家族」との再会であり、その「疑似家族」の面々との衝突と和睦が今作のメインテーマに据えられているのが明らかにされるからだ。それによりアクション作としての緊迫は後退し、「家族愛」の在り方がクローズアップされ、ナターシャの心の裡の葛藤と変化を追い続けることになるのだ。そういった部分でアクション作としては肩透かしを覚える部分もあるのだが、しかしこれはこれである意味必然だったのではないかとも思うのだ。

この作品が熾烈なアクション満載の痛快作としてのみ作られていないのは、それは『アベンジャーズ/エンドゲーム』というナターシャの痛恨の退場劇があったからだろう。『エンドゲーム』から遡り彼女の真実の人となりを明らかにするのがこの作品だったのだろう。だからこそ「家族」というキーワードは必然だったのだ。つまりこの作品は、『エンドゲーム』においてナターシャが払った犠牲に対する、一つの「禊(みそぎ)」の物語だったのだ。謎多き女ナターシャの、その多くを語られなかった生、彼女が抱えていた苦悩と悲しみ、願いと喜びを明らかにすることにより、彼女のその崇高さを讃え慈しもうというのがこの物語だったのだ。そういった意味で、この作品は『アベンジャーズ/エンドゲーム』の真の終章であり、堂々たるエピローグであったのだろうと思う。