ヨルゴス・ランティモス監督作品『憐れみの3章』を観た

憐れみの3章 (監督:ヨルゴス・ランティモス 2024年アイルランドアメリカ・イギリス映画)

ヨルゴス・ランティモス監督による映画『憐みの3章』は3つの物語で構成されたアンソロジーである。ランティモス監督と言えば去年公開された『哀れなるものたち』が大変面白かったので今作も観てみることにした。主演はエマ・ストーンウィレム・デフォー、マーガレット・クアリーといった『哀れなるものたち』出演陣に加え、ジェシー・プレモンス、ホン・チャウ、ジョー・アルウィンが参加、3つの物語の中で同じキャストがそれぞれ異なる役柄を演じている。

《STORY》女王陛下のお気に入り」「哀れなるものたち」に続いてヨルゴス・ランティモス監督とエマ・ストーンがタッグを組み、愛と支配をめぐる3つの物語で構成したアンソロジー。選択肢を奪われながらも自分の人生を取り戻そうと奮闘する男、海難事故から生還したものの別人のようになってしまった妻に恐怖心を抱く警察官、卓越した教祖になることが定められた特別な人物を必死で探す女が繰り広げる3つの奇想天外な物語を、不穏さを漂わせながらもユーモラスに描き出す。

憐れみの3章 : 作品情報 - 映画.com

ランティモス監督についてはデビュー作『籠の中の乙女』(2009)が非常に優れたアレゴリーを兼ね備えたショッキングな作品で注目していたのだが、2015年作の『ロブスター』がてんで駄目ですっかり興味を失っていた。なんというか『籠の中の乙女』路線の成功に胡坐をかいたのか単に悪達者になっているように感じたのだ。だが前作『哀れなるものたち』では原作付きということもあってか実に力強いテーマを展開しており、再びランティモス作品を観てみようかという気になったのだ。

しかし自身が再び脚本を担当した今作ではいかに不条理で不愉快で冷笑的な展開で観客を煙に巻くかに腐心したいつもの性根の腐ったランティモス映画に逆戻りしていた。創作態度が猫背というか、三島由紀夫言うところの「快癒したくない病人みたいな表現」に感じてしまったのだ。おまけにこんな不条理映画で165分、なげえ。3つの物語でそれぞれ別の役柄を演じる俳優たちには感心させられたが、逆に彼らの奮闘が無ければさらにうんざりさせられていたことだろう。

確かに得体の知れない不条理感と徹底的に魂が弄ばれているかのような無情さ、日常感覚が崩壊してゆくような非現実性は独特だった。それらはロアルド・ダールやサキ、最近ではエリック・マコーマックといった作家の描く「奇妙な味」と呼ばれる小説群を想起させる。オレもこれら「奇妙な味」の物語の愛好家ではあるが、『憐れみの3章』がどうにもいただけなかったのは「露悪に過ぎる」という部分だ。残虐ホラーの様な笑える露悪は好むところだが今作はただうんざりさせられるだけだ。それは監督の気取りが入っているからのように思う。

とはいえ前回観た『シビル・ウォー アメリカ最後の日』、そしてこの『憐れみの3章』と、ジェシー・プレモンス出演映画を立て続けに2本観たことはある意味貴重な体験だったかもしれない。彼の白人男の陰惨さを集約したような瘴気に満ちた存在感はちょっとあり得ないほど群を抜いていてる。エマ・ストーンもろくでもない役をとんでもなく表現豊かに演じていた。ウィレム・デフォー、マーガレット・クアリーも安定の演技だった。

ところで映画のオリジナルタイトルは『Kind of Kindness』、単純に訳せば「優しさの種類」ということになるが、これがなぜ『憐れみの3章』という日本語版タイトルになったのか少々疑問だった。要するにこれ、ランティモス監督の前作『哀れなるものたち』の「哀れ」と「憐れ」をかけた「あわれシリーズ」ってことなのだろうな。するとランティモス監督の次作タイトルは『憐れみの戦艦』、その次は『憐れみの要塞』ってことになるんだろうか。『憐れみシリーズ第◯弾/暴走特急』というのもアリだな。そこんところだけちょっと楽しみである。