『三体Ⅲ 死神永生』はやりたい放題の超絶SFだったッ!?

三体Ⅲ 死神永生(上)(下) / 劉 慈欣 (著)、大森 望・ワン チャイ・光吉 さくら・泊 功(訳)

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三体文明の太陽系侵略に対抗する切り札「面壁計画」の裏で、極秘の仰天プランが進んでいた。三体艦隊の懐に、人類のスパイを送る――奇想天外なこの「階梯計画」の発案者は、若き航空宇宙エンジニアの程心(チェン・シン)。しかも、むかし彼女に片思いしていた孤独な男・雲天明(ユン・ティエンミン)が計画の鍵を握る。だが、この二人の関係が、のちに人類文明全体の運命を左右することになろうとは……。壮大なスケールで人類の未来を描く三部作、堂々の完結篇。

話題総なめのSF長編3部作『三体』が遂に完結!

あの『三体』の翻訳版完結編が遂に発売された。中国人SF作家・劉慈欣(リュウ・ジキン)によって書かれたこの物語は、圧倒的な科学力をもって地球を侵略せんとする三体星人と地球との、数百年に渡る熾烈な戦いを描いたものだ。この『三体』は3部作となっており、『三体』、『三体Ⅱ 黒暗森林』 そしてこの『三体Ⅲ 死神永生』によって完結を迎える。全世界2900万部売上とか、中国人初のヒューゴー賞受賞作とか、あれこれと話題満載ではあるが、それもひとえにこの物語がSF界の歴史を覆すとてつない傑作だったからだ。

かく言うオレ自身は、実は1作目『三体』はあまりノレなかったのだが、『Ⅱ』のそのとんでもない展開に度肝を抜かしついでに腰も抜かし、作者並びに早川書房関係者各位に「1作目の時にナメ切ったこと言ってホントにスイマセン」と心の中で平身低頭したという経緯があった。1作目にノレなかったのは、作者独特の作話の在り方に戸惑ったからなのだろうと思う(後述)。しかしその後読んだ『Ⅱ』は……今思い出しても鳥肌が立ちそうな、凄まじいカタストロフが描かれていたのだ!!

そうして満を持して『三体Ⅲ 死神永生』に取り掛かり読了したオレだったが、その感想はというと……

グワアアアア物凄かった~~~~~ッ!

『三体Ⅲ 死神永生』は物凄過ぎた

この『Ⅲ』と比べるならば『Ⅰ』はまだ初見の挨拶に過ぎず『Ⅱ』は準備体操でしかなかった。しかしこの『Ⅲ』ときた日にゃあ、もはや殲滅戦である。読者をぐうの音も出ないほどに叩きのめし宇宙の彼方まで吹き飛ばすギャラクティカファントムの如き超必殺技の連打連打連打がこの物語だったのである(オレも古いな)。

それは全宇宙全時空を舞台に展開する壮大極まりないエピックだ。奇想に溢れたハードSFアイディアを惜しげもなく「これでもか!これでもか!」とばかりにぶち込むその様は、まさに【SF満漢全席】とも呼ぶべき至高のSF料理!美味なる驚異でもって頭脳の味蕾を甘美に刺激するその物語はこれぞ中華の真髄とも言うべき至福のSF体験!もはやSF料理長・劉慈欣の匠の技にただただひれ伏すのみ!劉先生、オレもうお腹一杯です.......ッ!

なにしろヤバかった、これを読んだ後ではあらゆるSFが霞んだ。実際この『Ⅲ』の後に他のSF本読み始めたら物足りなくて物足りなくて、もう一回『Ⅰ』から読み直すか?と思ったほどだ。

やりたい放題の超絶SF

実際「小説」として読もうとすると、登場人物たちが冷凍睡眠を利用してガンガン時代を飛び越してゆく構成や、古臭く思える人間描写や紋切り型な人物造形や、アイディアに奉仕した形のストリーテリングなどイビツに感じる部分もある。『Ⅰ』を読んだときはそれが引っ掛かって楽しめなかったという経緯があった。しかし『Ⅱ』を経てそういった作者独特の話法に慣れてしまうと、「小説」という枠組みを飛び越えて作者が物語にぶち込む壮絶にして芳醇な「エスエフ味」にひたすら酔わされるんだよ!

それにしてもあれほどきっちり終わった『Ⅱ』の後に物語を転がしようがあるのか?と思ったら、この『Ⅲ』はさらにその上を行っていた。「『Ⅱ』までは大人しく書いてたけど『Ⅲ』は好き放題やらせてもらうからね、しっかりついてこいよ!」という作者の凶暴な笑みが目に浮かぶようだ。作者インタビューによると『Ⅰ』『Ⅱ』は出版社の要望により一般読者にも受け入れられやすいように書いたが、『Ⅲ』ではSFファン向けに書いたものであり、だからこそよりSF感溢れる物語になったのだそうだ。ああ、だからここまで確信犯的にやりたい放題の超絶SFに仕上がっていたのか!?

中国的なるもの

実のところ、ネタバレを一切排したいがために「どこがどう凄いのか」を一切書かずに「スゲエ!スゲエ!」ばかりを連呼して、大変要領の得ない文章になってしまったことはここで陳謝しておく。ただ最後に、この3部作を読んで一つ思った事を書いておこう。

これまで「中国SF」の、その「中国」の部分をあえてクローズアップせずに書いたが、それでもこの物語には「中国的なるもの」はやはり存在していると思うのだ。それは三体危機のその時その時の状況によりイデオロギーが揺れ動き、地球市民たちの感情が時に真逆に変わってしまう様だ。これが文化大革命を前後する中国のイデオロギー国民感情の変節の在り方にどうしても被って見えてしまう。

それは「暗黒森林理論」と併せ、「強大なる力への不信」がその底辺にあるような気がする。しかし、壊滅的なカタストロフに彩られたこの物語に、それでもどこか太平楽な楽観性を感じてしまうのは、やはり中国なるものの懐の深さ、度量の大きさがあるからではないかと思えるのだ。併せて、この『Ⅲ』は気恥ずかしくなるほどのロマンチックさに溢れた物語でもある。その大いなるロマンも含めて、大陸の気風が見え隠れする物語であったと感じた。 

参考:これまで書いた『三体 Ⅰ、Ⅱ』 の感想文

『三体』3部作