『ドクトル・ジバコ』出版の陰に隠された二つの女の物語/『あの本は読まれているか』

あの本は読まれているか / ラーラ・プレスコット(著)、吉澤 康子 (翻訳)

あの本は読まれているか

冷戦下のアメリカ。ロシア移民の娘であるイリーナは、CIAにタイピストとして雇われるが、実はスパイの才能を見こまれており、訓練を受けてある特殊作戦に抜擢される。その作戦の目的は、反体制的だと見なされ、共産圏で禁書となっているボリス・パステルナークの小説『ドクトル・ジバゴ』をソ連国民の手に渡し、言論統制や検閲で迫害をおこなっているソ連の現状を知らしめることだった。──そう、文学の力で人々の意識を、そして世界を変えるのだ。一冊の小説を武器とし、危険な極秘任務に挑む女性たちを描く話題沸騰の傑作エンターテインメント

 映画『ドクトル・ジバゴ』はデヴィッド・リーン監督作品の中で最も好きな映画だ。『アラビアのロレンス』でも『戦場にかける橋』でもなく『ドクトル・ジバゴ』なのだ。あの雄大でどこまでも果てしない雪の大地がいい。決して成就しない切ないロマンスがいい。ロシア革命という巨大な時代の変節点を描いた歴史性がいい。

その『ドクトル・ジバゴ』の、原作小説出版にかかわる諜報劇を描いたミステリ小説があるというのでとても興味が湧き読んでみることにした。タイトルは『あの本は読まれているか』、アメリカ人作家ラーラ・プレスコットのデビュー作となる。

ドクトル・ジバゴ』はソ連の作家ボリス・パステルナークによって書かれ1957年に出版された文芸小説だ。1957年、フルシチョフ政権下のソ連はいまだ鉄のカーテンの向こう側にあり、その中で『ドクトル・ジバゴ』は反社会主義的な内容だとして本国での出版を許されなかった。しかし原稿は秘密裏にイタリアに持ち込まれてようやく上梓、その後世界18カ国で翻訳され大絶賛を受ける。『ドクトル・ジバゴ』はその文学的功績によりノーベル文学賞を受賞することになるものの、ソ連政府からの圧力によりパステルナークは受賞を辞退する形となってしまった、というのが史実となる。

小説『あの本は読まれているか』は『ドクトル・ジバゴ』出版前後のソ連アメリカを舞台としている。まずソ連に住む原作者パステルナークとその愛人オリガが小説出版を巡る葛藤に苛まれる日々を描く章が一つの軸だ。そしてワシントンに住む新米CIAタイピスト、イリーナがスパイとして訓練され、社会主義ソ連を牽制するため本国では発禁本である『ドクトル・ジバゴ』を西側に流通させる作戦にかかわってゆく章がもう一つの軸となる。作品ではこの「東側」「西側」の様子が交互に描き出されてゆくのだ。

「東側」での基本的な主人公は愛人オリガだ。彼女はパステルナークのミューズとして『ドクトル・ジバコ』を書き上げる大きな力となるが、しかしパステルナークとかかわったことでソ連政府により投獄され、出所後も政府の監視に常に怯えながら暮らしている。一方パステルナークは自らの小説が世に出ることを願って止まないのと同時に、それが出版されることにより自身とオリガの身に危険が及ぶことの葛藤に悩まされ続けている。「西側」ではイリーナがスパイ訓練の中で女性教官サリーとの間に禁じられた愛が芽生え、やはり葛藤してゆくさまが描かれてゆくのだ。

とはいえ、最初ル・カレ的な東西二つの国家での熾烈な諜報戦を期待して読み進んでいたのだが、中盤からどうやら主題はそこではないと知り、若干肩透かしを食ったことは否めない。この小説で真に描かれるのは冷戦体制に翻弄されるそれぞれの国の女の生なのだ。

「東側」でオリガは秘密警察の影に常に怯え心身を苛まれ、パステルナークとの愛に振り回され続ける。「西側」でイリーナはスパイとしてめきめきと功績を上げながら、サリーとの愛の行方に引き裂かれゆく。それらは瑞々しくもまた悲哀にあふれた筆致で描きあげられており、東西二つの国家で女が女として生きることの寄る辺なさを炙り出してゆくのだが、個人的にはちょっと「コレジャナイ」感を感じてしまった。

まず「西側」で描かれるドラマに『ドクトル・ジバコ』と関わらねばならない必然性を感じなかった。男権主義的な諜報世界の中で地味な裏方仕事をこなさねばならない女たちの悲哀、というプロットは確かに理解できるし、それを「東側」オリガと対比の形で描くことにより「冷静時代の女」を立体的に描こうとする構造も理解できるが、こと「諜報」そのものの描写が薄く、また『ドクトル・ジバコ』を東側で流通させることの重要な画期性が伝わり難い。

「東側」描写においても資料を非常に活用し、さらに登場人物らに寄り添った感情描写が為されているが、フィクションとしての飛躍が今一つ足りないように思えた。また、最後まで東西登場人物は関わり合わないという部分が物語的カタルシスを希薄にしているように思う。そういった部分で、非常によく描かれていのだが、食い足りない印象を残してしまった作品だった。

あの本は読まれているか

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