時代に翻弄され数奇な運命を辿る男女の愛を描いた歴史ロマン/映画『ドクトル・ジバゴ』【デヴィッド・リーン特集その1】

ドクトル・ジバゴ (監督:デヴィッド・リーン 1965年アメリカ・イタリア映画)

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ロシア革命を背景に、時代に翻弄され数奇な運命を辿る男女の、許されぬ愛とその行方を描いた作品である。197分。物語は帝政ロシア時代から始まり、第一次世界大戦を経て、ロシア革命、その後の暗い全体主義国家体制へと変遷しつつ、主人公ジバゴの流転する人生と、美しい娘ラーラとの秘められた恋とが、溢れ返るようなロマンで描かれてゆくのだ。

今回いろいろデヴィッド・リーン監督作を観たけれど、実はオレはこの作品が一番好きだ。『ロレンス』でも『橋』でもなく『ジバゴ』が好きなのだ。なぜかって、この作品にはロマンスがあるじゃないか。それと「ロシア革命」ってのがいい。革命前夜の異様な熱気と、革命が成就してもやっぱり嫌な社会にしかならなかったというアイロニーがいい。それとロシアの寒々しい雪の情景がまたいい。オレは北海道生まれだから雪原や雪に覆われた街並みを見ると妙に落ち着くんだ。これら雪の情景はデヴィッド・リーン印のロングショットでたっぷりと描かれ、あたかもその場所に居合わせたかのような臨場感を覚えさせるんだ。これがまたうっとりさせられるんだよ。素晴らしいよ。

この作品において主人公ジバゴは能動的な行動を殆ど起こさず、ただ流されてゆくだけのように見えてしまうが、それはジバゴもまたこの時代に生きた大勢の人々とまるで変わらない、巨大な時代の変換点の中で成す術もなく生きざるを得なかった人間だ、ということじゃないのか。「そんな運命だった」と言うしかない物寂しさ、悲哀がこの物語なんだと思うんだ。そしてラーラとの恋は、それは確かに不倫ではあるのだけれども、でもそれは医療班として前線に残された二人の、ぎりぎりの不安と孤独を払拭するために身を寄せ合った結果じゃないか。それは正しくはないのかもしれないけれど、でも、とても人間臭いことではないかとオレは思うんだ。

そしてロシアを舞台にしたロシア人が主人公のこの物語がどう「異文化とのコミュニケーション」なのか。それはこんな作品を、イギリス人監督がハリウッドで撮った、ということだ。米ソ冷戦下の時代に西側諸国の人間がロシア人の人生を美しくもまた高らかなロマンの薫りを込めて描き、それを西側諸国の観客が絶賛をもって受け入れたのだ。つまり映画自体がロシアという異文化とのコミュニケーションを促したということはできないだろうか。

そして時代は流れ、ジバゴの名も、ラーラの名も歴史の中から消えてゆき、また慌ただしく新しい時代と、新しい人々が生まれてゆく。映画は冒頭とラストにおいてそんな無常観と共に、彼らが育み橋渡しした新世代の胎動とを描く。生々流転する人生、運命、誰にも止められないそんな大きな流れの中で、ささやかな愛を語り合った二人の姿、それはこの世界で生きた、あるいは生きている誰もと同じ姿である、とオレには思えてしかたなかったんだよ。いい作品だよ!素敵だよ!オレは大好きだ!ちなみにあのキャスリーン・ケネディがこの映画が好き過ぎて25回だか観ているらしい!