筒井康隆短編集『堕地獄仏法/公共伏魔殿』を読んだ

■堕地獄仏法/公共伏魔殿 / 筒井康隆

堕地獄仏法/公共伏魔殿 (竹書房文庫 つ 3-1)

巨大な権力を握った某国営放送の腐敗と恐怖を描き、一読すれば受信料を払わずにはいられない「公共伏魔殿」、諸事情によりここにはあらすじを書けないもうひとつの表題作「堕地獄仏法」、ロボット記者たちに理路整然と問い詰められた政治家がパニックになり、無茶苦茶な答弁をしてしまう「やぶれかぶれのオロ氏」、ささいなことから大学生と予備校生の戦争が勃発してしまう「慶安大変記」など初期傑作短篇16作を収録。

 SFにかぶれ始めた10代の頃はもっぱら日本SF作家の作品をよく読んでいた。やはり1番は小松左京、この筒井康隆、さらに光瀬龍、あとは平井和正あたりか。いわゆる日本SF第一世代作家というやつだ(まあオレもイイ歳なんでこの世代なんだ)。不思議と星新一には惹かれなかった。半村良は成人して随分経ってからハマった。

この中で筒井康隆は、その軽快な文章と徹底的なナンセンスさで、特にSFファンじゃない友人にもウケていて、高校時代、自習時間に回し読みされていたりした。ただオレがお気に入りの筒井作品はもっぱら長編が多かった。やはり『脱走と追跡のサンバ』、終末SF『霊長類南へ』、『幻想の未来』あたりは頭がクラクラしそうなくらい興奮させられた。逆に、当時でさえ相当刊行されていた短編集は殆ど読んでいなかった。

そんな筒井作品ももう数十年読んでいなかったがつい最近、竹書房が筒井の初期短編集をリリースすると知り、今更筒井かあと思いつつ、怪しげな表紙に惹かれてついつい手を出してしまった。それにしても竹書房、出版数はそんなに多くないが、なんだか割とSFで攻めてきている節がある。ヤル気満々の編集者がいるのだろうか。いいことである。

この『堕地獄仏法/公共伏魔殿』は64年から68年にかけての筒井康隆の初期短編16篇が収められている。巻末の編者解説によると短編集『東海道戦争』『ベトナム観光公社』『アルファルファ作戦』の3冊から採られているという。そしてこれとハヤカワから出ている『日本SF傑作選1 筒井康隆 マグロマル/トラブル』と併せると、先に挙げた短編集3冊が網羅される形になるのらしい。どちらにしろこの3冊の短編集は読んでいなかったので、今回の竹書房版は新鮮な気持ちで読む事が出来た。

冒頭の数編こそさすがにいかにも60年代的な古臭さを感じたが、執筆年が上がってくるほど段々筒井節がこなれてくる。そしてやはりハイライトとなるのは表題となっている『堕地獄仏法』と『公共伏魔殿』だろう。『堕地獄仏法』は創価学会を徹底的にこき下ろした作品だ。名前こそ変えてあるが、総花学会と恍瞑党が政権を握りディストピアと化した日本が描かれる。クライマックスの壮絶な乱調が凄まじい。一方『公共伏魔殿』ではNHKを槍玉にあげ、その体制をグロテスクにカリカチュアしてみせる。

同様に、『やぶれかぶれのオロ氏』では首尾一貫しない政府答弁を嘲笑し、『慶安大変記』では大学生と予備校生とが戦争を勃発させ、『懲戒の部屋』では痴漢冤罪の行方をブラックに描いてゆく。これらは、不透明な権力構造や、どうにも滑稽な時事の内実を筒井流におちょくったものだといえるだろう。反骨とかそういうのではなく、「バッカじゃねえの」という皮肉なのだ。クライマックスにスラップスティックな戦闘を持ってくるのは当時の安保闘争を揶揄したものなのだろう。

そんな中、時代SF『時超半四郎』は体制と相容れない自己の心情吐露とも取れるし、『一万二千粒の錠剤』では長命薬というSFアイディアを持ち込みながらも描くのは大衆の愚かさだ。そしてラスト『色眼鏡の狂詩曲(ラプソディ)』では欧米の見る日本や中国の軽薄なステレオタイプを露悪的に笑い飛ばす。こうした筒井の態度はある種の価値観をSF作家という視点を通して相対化してみせたものだということができるだろう。筒井は執筆活動後期において前衛文学に接近してゆくが、この頃の諧謔と冷笑に満ちた作風の頃がオレには最も肌に合った時期だったように思う。

堕地獄仏法/公共伏魔殿 (竹書房文庫 つ 3-1)

堕地獄仏法/公共伏魔殿 (竹書房文庫 つ 3-1)

  • 作者:筒井 康隆
  • 発売日: 2020/04/16
  • メディア: 文庫