小川哲のSF小説『ゲームの王国』を読んだ。

■ゲームの王国(上)(下) / 小川哲

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA) ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)

サロト・サル―後にポル・ポトと呼ばれたクメール・ルージュ首魁の隠し子、ソリヤ。貧村ロベーブレソンに生まれた、天賦の「識」を持つ神童のムイタック。運命と偶然に導かれたふたりは、軍靴と砲声に震える1975年のカンボジア、バタンバンで邂逅した。秘密警察、恐怖政治、テロ、強制労働、虐殺―百万人以上の生命を奪い去ったあらゆる不条理の物語は、少女と少年を見つめながら粛々と進行する…まるで、ゲームのように。 (上巻作品紹介)

「君を殺す」―復讐の誓いと訣別から、半世紀。政治家となったソリヤは、理想とする“ゲームの王国”を実現すべく最高権力を目指す。一方のムイタックは渇望を遂げるため、脳波を用いたゲーム“チャンドゥク”の開発を進めていた。過去の物語に呪縛されながら、光ある未来を乞い願って彷徨うソリヤとムイタックが、ゲームの終わりに手にしたものとは…。第38回日本SF大賞&第31回山本周五郎賞受賞作品。(下巻作品紹介)

 カンボジアにおいてポル・ポト政権が行った大量虐殺の様子は映画『キリング・フィールド』で初めて知り、粛清された屍が累々と野ざらしになったその「殺戮の荒野」の情景には気が遠くなった覚えがある。ポル・ポトは1975年から1979年までカンボジアを支配したクメール・ルージュの指導者であり、原始共産制を謳ったその政策の下150万から200万ともいわれるカンボジア人が命を失ったという。

小川哲によるSF小説『ゲームの王国』はこのポル・ポト政権下から近未来に至るカンボジアを舞台にした物語だ。まず上巻においてはクメール・ルージュの勃興からその恐怖政治の有様が背景となり、登場人物たちが次々と虫けらのように殺され、あるいは怯えながら暮らす様子が描かれてゆく。

物語の主人公となるのは捨て子の少女ソリヤ、そして小さな村で生まれた少年ムイタック。実はソリヤは「相手の嘘を見破る」という特殊能力を持ち、ムイタックも子供ながら類まれな知性を持っていた。この二人をはじめ、物語には奇妙な予知能力や念動力を持つ子供たちが多数出て来る。彼らがポル・ポト政権下の虐殺からどう生き延びてゆくのかが上巻の見所となる。

そして下巻は一転、2023年の近未来へと飛ぶ。大人になったソリヤは政治家となり汚職と不正に凝り固まったカンボジアの政治を変えようとしていた。一方ムイタックは脳波を用いた革新的なゲームを開発していた。この二人が「ゲームとそのルール」というキーワードの元どう結びつき合いあるいは離れてゆくのかがこの物語となる。ソリヤにとって「ゲームとそのルール」とは現実の政治をどう動かすのか、ということでありムイタックにとっては革新的なPCゲームを巡るルールがどう現実と関わるのかということだ。そしてそれはそれぞれに「新しい世界の模索」ということでもあった。

とはいえ、全体的にこの「ゲームとそのルール」というキーワードにこだわり過ぎたことがこの物語を窮屈なものにしている。上巻における熾烈極まりない生存ゲームの描写は圧倒的であり、大部である物語であるにもかかわらず興味を失う事なく読めたが、近未来を舞台にした下巻になると物語の展開が「ゲームとそのルール」に苦心してこじつけたものに思えてしまうのだ。政治にゲーム的な視点を与えることはそれほど新奇ではないし、他方、PCゲームにはそもそもルールが必要なのでそれを特別に取り沙汰しても当たり前すぎる話だなあと思えてしまう。

作品のSF的要素はというとまず前半の特殊能力を持った少年たちになるのだが、これが後半特に生かされることもなく自然消滅してしまう。後半では脳神経学がどうこうという話になるけれども、特に想像力の飛躍があるかというとそういうこともない。そもそもここで描かれる「革新的なゲーム」というのが実の所よくあるオンラインアクションで、それほど革新的に感じない。結局「ポル・ポト政権下における少年少女の生存ゲーム」というのなら下巻は付け足しにしか思えないし、「ゲームとそのルール」という主題だけなら上巻がほとんど必要のない構成に思えてしまう。舞台設定とボリュームにおいて実に野心的であり挑戦的であり、十分に楽しめる物語性を兼ね備えた作品だが、全体をまとめるテーマの掘り下げ方が弱くブレを感じたことは否めない。 

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 上 (ハヤカワ文庫JA)

  • 作者:小川 哲
  • 発売日: 2019/12/04
  • メディア: 文庫
 
ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)

ゲームの王国 下 (ハヤカワ文庫JA)