非情なるグローバル社会と経済格差の行方を描く傑作サイバーパンクSF長編『荒潮』

■荒潮/陳 楸帆(チェン・チウファン)

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

彼女の名前は米米(ミーミー)。中国南東部のシリコン島で日々、電子ゴミから資源を探し出して暮らす最下層市民“ゴミ人"だ。彼女たちは昼夜なく厳しい労働を強いられ、稼ぎは何代にもわたって島を支配してきた羅、陳、林の有力御三家に吸い取られていた。 しかし、テラグリーン・リサイクリング社の経営コンサルタント、ブランドルと陳開宗が島を訪れてからすべては変わり始める。テラグリーン社の環境再生計画に翻弄され、利権を奪い合う御三家たち。いっぽう、米米は開宗と恋に落ちるが、想像し得ない未来が彼女を待ち受けていた……。『三体』の劉慈欣が激賞した、中国SFの超新星によるデビュー長篇。

最近中華圏SFに注目中のオレであるが、またもや素晴らしい作品と出会う事になった。タイトルは『荒潮』、広東省生まれである作者、陳楸帆(チェン・チウファン)のデビュー長編である。この陳楸帆、百度バイドゥ)やGoogleといったテック産業に勤める傍らSF作品を書き続けている作家なのらしい。

『荒潮』は近未来の中国にあるシリコン島という名の島を舞台にしたSF作品だ。シリコン島はアメリカから電気電子機器廃棄物(電子ゴミ)を輸入し、そこからレアメタル等の希少資源を抽出することで経済を成り立たせていた。資源抽出に携わるのは”ゴミ人”と呼ばれる下層階級者であり、彼らは不潔なスラムに住まわされ汚染化学物質に塗れた電子ゴミを安全衛生基準など皆無の環境で仕分けさせられていた。そのシリコン島の経済を吸収しようとアメリカのグローバル企業が乗り出し、そこに島を牛耳る有力御三家が絡み、巨大利権を巡る危険な思惑が蠢きだす。一方、ゴミ人としてこの島にやってきた貧しい少女米米(ミーミー)は、謎の電子ゴミによって身体に異常をきたし始めていた。

『荒潮』の物語には非常に今日的な問題がクローズアップされる。それはまず電子ゴミに代表される環境問題であり、先進国のゴミを別の国が肩代わりするという歪んだ状況である。そしてグローバル企業による途上国からの搾取であり、人権を無視した労働環境の問題である。シリコン島に目を向ければ、そこには地元有力者とゴミ人という富む者と富まざる者との経済格差があり、さらに差別があり、そこから労働闘争といった形へと派生してゆく。この物語では地球規模から国家規模へ、その地方に住まう市民単位へと、マクロからミクロに至るあらゆる格差社会の在り様が描かれることとなるのだ。

この状況をさらに混迷させるのがグローバル企業による経済支配の謀略とそれと交渉の場に立つ地元有力者達との虚々実々の駆け引きだ。しかし両者にとって最大の関心は利権であり、その狭間にいるゴミ人達最下層市民にとっては、今ある地獄からまた別の地獄に動くことでしかない。海外グローバル企業による冷徹で非人間的支配か、地元有力者による旧弊で息の詰まる様な相互監視的支配か、という陰鬱な選択がここにはある。そして『荒潮』の物語は、そこに第三の選択は存在しないのか、という部分にドラマを生んでゆく。

この物語の中心となるのはグローバル企業コンサルタントであり「エコノミック・ヒットマン」と呼ばれる男スコット・ブランドル、中国生まれであり、現在ブランドルの助手として働く陳開宋(チェン・カイゾン)、ゴミ人の少女・米米(ミーミー)。ブランドルはグローバル企業側の視点から、米米は現地人の視点から物語を動かすが、一方、陳はアメリカ留学の経験から世界的な視座を持ちつつ、同時に中国人として自国民の安全と幸福を願う心の中で引き裂かれてゆく。

こういった社会派な展開と同時に、近未来テクノロジーとそれを使用する社会、その近未来テクノロジーのゴミを再利用したシリコン島のグロテスクな日常光景がこの作品の見所ともなる。人々に幸福をもたらすはずだったテクノロジーが汚染と汚濁に塗れた環境を生み、そのテクノロジーを使いながらも貧者は相変わらず貧者であり、そんな彼らが再利用テクノロジーを駆使して巨大資本に逆襲を掛ける、といった展開には十分にサイバーパンクの香りが漂う。作者である陳楸帆は「中国のウィリアム・ギブスン」という異名を持つらしいが、確かにこの『荒潮』からは「21世紀版『ニューロマンサー』」といった趣すら感じる。『ニューロマンサー』は国家を超えたグローバル企業と個人との電脳テクノロジーを介した闘争を描いた物語であり、その社会は汚濁に満ち暗澹としてどこまでも息苦しい。まさに『荒潮』そのものではないか。

ただし物語は後半息切れを起こし、それまでリアリティに溢れた展開であったものが『AKIRA』的であると同時に『銃夢』的な飛躍を見せてしまう。それはそれで面白いのだが、トータルで見ると物語的破綻を感じてしまうのだ。この辺り、少々大風呂敷拡げ過ぎたかもなあ。とはいえ、そういった瑕疵はあるにせよ、この作品が「2020年はこのSFを読め!」と言い切っていい傑作であることに変わりはない。中華SFの強大なポテンシャルを感じさせる1作『荒潮』を、SFファンである方は是非手に取ってみて欲しい。

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)

荒潮 (新☆ハヤカワ・SF・シリーズ)