負け犬たちの墓標〜『ヒットマン5』

■セクション8の最期

非情と無情が交錯するタフでマッチョなハードボイルド・ストーリー『ヒットマン』の最終巻、第5巻である。この巻は以下の章により構成される。それは「スーパーヒーローになろう!」「スーパーガイ」「終わりの時」「月の裏の闇にて」の4章だ。この巻でいよいよ主人公トミーの命運が決定付けられる。
「スーパーヒーローになろう!」「スーパーガイ」はヌーナンの酒場にたむろするあるスーパーヒーローの物語である。その男の名はシックスパック、またの名を「酔って酒瓶で頭を殴るマン」。そう、コミック『ヒットマン』の名を知らしめることになったゴッサム・シティの3流ヒーロー軍団、セクション8の一人である。とはいえこのセクション8、ヒーローとは名ばかりの単なる変人奇人負け犬集団でしかない。このシックスパックにしたって「俺はヒーローだ!」と酒場でくだを巻くだけのアル中親父である。妄想だけでなんとか自分を保っている哀れな敗北者なのだ。そんな彼の前に、異次元からやってきたモンスター軍団が襲い掛かる。
すわ一大事とばかりシックスパックはセクション8の招集をかけ、ここにセクション8vs異次元モンスターの熾烈な戦いが繰り広げられる……筈だった。いや、確かに『ヒットマン』第2巻ではこのセクション8の面々の、奇態を凝らしたとんでもない戦いぶりが敵を撃退していた。それは、負け犬たちの痛快極まりない一発逆転だった。だがしかし、二度目は無いのだ。この章では、3流ヒーロー軍団セクション8が、結局は単なる負け犬に過ぎないことが冷徹に描かれてゆく。作者ガース・エニスは、ここで遂に『ヒットマン』世界の解体へと乗り出してゆくのだ。

■終わりの時

そして物語は『ヒットマン』のある意味最終章ともなる「終わりの時」へと向かってゆく。ある邪悪な実験を目撃してしまった一人の女。トミーは、彼女を守るために立ち上がることになる。しかしその邪悪な実験は、CIAによってなされたものだった。ここでトミーは、アメリカの誇る巨大諜報組織を相手に戦うことを余儀なくされてしまうのである。確かに『ヒットマン』2巻までの、調子よくお気楽なトミーであったら、奇想天外な戦法を繰り広げ、例えそれがCIAであろうとも、こともなく撃退していたかもしれない。しかし、今のトミーは、戦いに次ぐ戦いの果てに、虚無と、無力と、悲嘆の味を知ってしまった男なのだ。彼は今たかが一介の殺し屋でしかなく、己の限界をも十分理解しているのだ。能天気な無敵のヒーローではなく、死すべき運命を背負った生身の男、殺し屋の腕と、タフな虚勢だけが頼りの男、それが今のトミーなのだ、そして物語は、"ヒットマン"トミーの、最後の戦いへとなだれ込んでゆくのである。
こうした大筋の合間に、トミーを巡るあらゆる物語もまた展開してゆく。それはトミーの少年時代の物語であり、盟友ナットと出会った軍隊時代の物語であり、殺し屋であるトミーを嫌った元カノ、ティーゲルとの最終的な決着である。これらがあたかも走馬灯のように物語を駆け巡り、鮮烈なクライマックスへと疾走してゆくのだ。また、この章ではFBI女性捜査官キャサリン・マカリスターが再登場し、トミーとの共闘を約束するが、トミー同様クールな殺し屋であるキャサリンの戦いぶりはこの最終章を華々しく染め上げている。ところでこのキャサリン、『Xファイル』のダナ・スカリーにそっくりで、ダナ・スカリー・ファンのオレは大いに盛り上がったことも付記しておく。

■エピローグ:月の裏の闇にて

こうしてトミーの最後の戦いに決着がついた後に物語られる「月も裏の闇にて」はいわゆるエピローグといったところだろう。これまで陰鬱に展開し続けてきた『ヒットマン』の物語だが、この章ではスーパーマンバットマンワンダーウーマン、フラッシュなどDCコミックお馴染みのスーパーヒーローが勢ぞろいとなって活躍を見せ、お得感満載の章として楽しめる。その中には我らがトミーもいるのだが、スーパーパワーを兼ね備えたスーパーヒーローの中でボンクラ野郎トミーがいったいどんな戦いを見せるのか?というのがこの章の面白さだ。漫画担当(ペンシラー)はこれまでと同じジョン・マクリアなのだが、カラーリストが違うせいかこれまでの『ヒットマン』のグラフィックと一線を画し、スーパーヒーロー勢揃いに似つかわしいカラフルなグラフィックを見せてくれるのも楽しみの一つだろう。どちらにしろ、この「月の裏の闇にて」で、"ヒットマン"トーマス・モナハンの物語は大団円を迎えるのだ。

■『ヒットマン』とはなんだったのか

こうして全5巻を振り返ってみると、『ヒットマン』とは、DCコミックを始めとするスーパーヒーローコミックへのアンチテーゼであったことがよくわかる。『ヒットマン』の世界では、正義というものの姿がどこまでもグレーだ。殺し屋トミーはスーパーヒーローを名乗りながら決してスーパーでもヒーローでもなかった。タフでマッチョでハードボイルドだったトミーは、実際の所とことん負け犬だった。そんな負け犬の彼が、己の信ずるものと、己の愛する仲間のためだけに、体を張って戦いに乗り込んでゆく。そこには正義も大義もないけれども、しかし、彼の心には決して嘘はない。それがトミーの魅力であり、コミック『ヒットマン』の魅力だったのだ。
そして『ヒットマン』においてスーパーヒーローコミックへのアンチテーゼを描いた原作者ガース・エニスは、それをさらに深化させた途方もない暗黒作、『ザ・ボーイズ』を世に送り出すことになるのだ。この『ザ・ボーイズ』についてもいつか書こうと思う。