最近読んだコミック

藤子・F・不二雄大全集 中年スーパーマン左江内氏/未来の想い出

ドラえもん』にこそ思い入れは無いもののオレは藤子・F・不二雄のSF短編がたいそう好きで、結構分厚い大判の短編集を持っていたりする。オレはSF好きの人間だが、藤子・FのSFはシンプルで親しみ易く、SF好きのツボをど真ん中で突く非常に優れた作品が多かったと思う。藤子・Fは『オバケのQ太郎』『パーマン』以降『ドラえもん』を描きあげるまで長きに渡るスランプだったと今調べて初めて知ったが、SF寄りの藤子・Fのセンスが当時の子供たちにはよく理解できなかったせいだったのではないのかと今にして思う(『21エモン』とか傑作じゃないですか)。
そんな藤子・Fの『中年スーパーマン左江内氏』、書店で見かけた時は「読んでたっけかなあ…でも併載の『未来の想い出』は多分読んでないな」と思いおそるおそる購入した。確かに『中年スーパーマン〜』は読んだことがあったようだが、再読してみてもやはり面白い。その面白さというのは、アイディアそのものよりも「どこにでもある平凡な家庭、どこにでもいる平凡な家族」を確固として主人公にしたがる藤子・Fの態度だ。この「平凡さ」というのは今では幻想でしかないのだけれども、「平凡な家庭」で育っていなかった自分ですら奇妙なノスタルジーを覚えるのだ。それは『サザエさん』の二世代家族ではなく核家族時代のノスタルジーだ。それは『オバケのQ太郎』時代から連綿と続く藤子・F漫画の在り方からの擦り込みのようにすら思えるのだ。
一方『未来の想い出』は作者本人らしき人物を主人公としながら「もう一度人生をやり直せたら」という割とありがちな物語の流れを見せる。藤子・Fのような成功者でもそんなことを考えるのかな、などと思いつつ読んでいたら後半、臓腑を抉る展開に息を飲まされた。そう、藤子・Fはこういった人生の残酷さを時として描く人だったな、と思いだした。そして改めて感じたが、藤子・Fはその描く少女が可憐でいい。ときめかされる何かを秘めている。そしてこの物語も、そんな少女が物語の大きなカギを握ることになるのだ。

岡崎に捧ぐ(3) / 山本さほ

山本さほが親友岡崎さんと過ごす子供〜青春時代を描く『岡崎に捧ぐ』3巻はいよいよ高校生篇に突入。岡崎さんとは別の学校になってしまい、今まで通り遊んだりはするけれども、学校では山本は一人。この巻では岡崎さんとの友情物語から若干離れ、山本の高校時代が中心に描かれることになる。そして高校時代だけに、山本なりに悩み苦しむ様子が描かれる。同調圧力が友達の証みたいな同級生たちに、山本は付いていけないのだ。そして孤立するのだ。そんな中、決して自分を曲げない山本の意固地さというか山本らしさが実にいい。その挙句、サブカルにはまるのだ。うわああああ分かるわあこれオレだわあああ!そしてそんな只中にいるからこそ、学校の外で会う岡崎さんとの友情にひたすら心安らがせている。で、悩み苦しみとかしつつ、時折黒い山本が炸裂する。決して生真面目ではないのだ。やんちゃなのだ。このバランス感覚がまたいい。青春ドラマはあれこれあるが、この『岡崎に捧ぐ』の独自性はちょっと格別かもしれない。

■山本さんちのねこの話 / 山本さほ

山本さほってキャラクター的に猫を飼っているというイメージじゃなくて、だから猫漫画を描いていると知って「そうなの?」と一瞬思ってしまった。するとどうやら山本はもともと犬派で、さらに猫アレルギーで、にもかかわらずあるきっかけで止むに止まれず猫を飼う羽目になってしまったのだという。う〜ん山本らしい。そんな山本が描く猫漫画だから、妙にデレデレせず(時にはするが)、どことなく一歩引いた視線で猫ライフを描いている。そしてそのせいか、山本描く飼い猫は、なんだか可愛くない。飼ってみたくもない。しかし山本は決して愛情足りない訳ではなく「まあこれも腐れ縁だから」と淡々と猫ライフを過ごしている。そこが非常に新しい。

■みずほ草紙(3) / 花輪和一

村社会の因習と村社会の人間関係の恐怖。花輪和一の『みずほ草子』は一貫して村社会の掟によりがんじがらめになった人間たちの憎悪と絶望を描くが、それは国全体が村社会ともいえる(過去の?)日本そのものへの憎悪なのかもしれない。とはいえ、花輪は同時にそれに対する救済も描こうとしている。花輪の描く救済は異世界と異形の者たちによる超現実的・非現実的なものではあるけれども、それは即ち、現実には、救われるものはどこにもないという虚無と諦観があるように感じる。

ヒストリエ(10) / 岩明均

ヒストリエ(10) (アフタヌーンKC)

ヒストリエ(10) (アフタヌーンKC)

前巻に引き続きマケドニアVSアテネ・テーベ連合軍の「カイロネイアの戦い」が描かれることになるが、この作者の手になると大合戦であるものがどうしても冷え冷えと醒めたものとして描かれるのが独特と言えば独特。主人公はもちろん登場人物たちもどこか醒めてるし、さらにどんな緊急時でも基本的にかったるそうなんだよな。これが作者の味なんだが、面白くないわけではないがそこが全般的に平板に感じる理由かなあ。