台湾の作家・呉明益による短編集『歩道橋の魔術師』を読んだ。

■歩道橋の魔術師 / 呉明益

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

1979年、台北。西門町と台北駅の間、幹線道路にそって壁のように立ち並ぶ「中華商場」。物売りが立つ商場の歩道橋には、子供たちに不思議なマジックを披露する「魔術師」がいた――。現代台湾文学を牽引し、国外での評価も高まりつつある、今もっとも旬な若手による連作短篇集。
 現在の「ぼく」「わたし」がふとしたきっかけで旧友と出会い、「中華商場」で育った幼年期を思い出し、語り合ううち、「魔術師」をめぐる記憶が次第に甦る。歩道橋で靴を売っていた少年、親と喧嘩して商場から3か月姿を消した少年、石獅子に呪われ、火事となった家で唯一生き残った少女と鍵屋の息子の初恋……。人生と現実のはざまで、商場の子供たちは逃げ場所やよりどころを魔術師に求める。彼はその謎めいた「魔術」で、子供たちに不思議な出来事を体験させることになる。
 日本の読者には「昭和」を思い出させるような台湾らしい生活感と懐かしさが全篇に漂う。語り手の静かな回想が呼び込む、リアルな日常と地続きで起こる幻想的な出来事。精緻な描写力と構成によって、子供時代のささやかなエピソードがノスタルジックな寓話に変わる瞬間を描く、9つのストーリー。

知り合いには結構台湾旅行をしている人がいて、旅行の様子を聞いたり写真を見せられたりするにつけ、「台湾旅行も悪くないなあ」といつも思っていた。なにぶんオレ本人はデブの出不精が祟り、まるで実行に移す気配は無いのだが、そのうち台湾の地を踏むこともあるかもしれない。
連作短編集『歩道橋の魔術師』は、そんな台湾生まれの作家、呉明益が書いたものだ。台湾の作家というのも珍しいなと思い、ちょっと読んでみることにしたのだ。
物語の時代設定は70年代末期、舞台となるのは台北の目抜き通りに壁のように建ち並ぶ商店街「中華商場」。1961年から1992年の取り壊しまで実在したこの場所に行きかう、台湾の若者たちの青春の情景がこの物語のメインとなる(Wikipediaで「中華商場」を画像検索すると当時の様子をうかがうことができる)。
この連作短編には舞台である「中華商場」以外にもう一つの共通点がある。それがタイトルである「歩道橋の魔術師」だ。「中華商場」の歩道橋には多くの屋台が並んでいたが、その中に手品グッズを売る怪しげな男がいた。子供たちはその男の手品に魅せられていたが、稀にその男は、どう考えても手品であるはずがない超自然的な技を垣間見せるのだ。
とはいえ、この魔術師が短編集の中心的な存在という訳ではない。この短編集で物語られるのは、登場する様々な少年少女たちの、家族との諍いや事件、恋と別れ、性と死である。それらを大人になってから振り返った、苦くもあり甘酸っぱくもある思い出である。それらの多くは、遣り切れなく、そしてどうしようもできなかったことだ。魔術師の"魔術"は、そんな厳しい現実に、風穴を開けるもののように描かれるのだ。
読んでいて全体的に思ったのは、これは台湾の村上春樹なのかな、ということだ。『歩道橋の魔術師』には、多くの死と、ぶっきらぼうなセックスと、若さゆえの喪失感が描かれる。そしてそこに魔術的な超自然現象が加味されるというわけだ。これらは少なくとも初期の春樹小説の展開の在り方とよく似ている。ただ台湾在住でない自分には「中華商場」のノスタルジーといわれてもピンとこないし、"魔術"の扱い方も物語をとりたてて際立たせているようには思えなかった。台湾人作家が春樹小説に接近するとどういう物語になるのかを確認するにはなにかの参考になる小説集かもしれない。

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)

歩道橋の魔術師 (エクス・リブリス)