ダークファンタジー小説『ラヴクラフト・カントリー』を読んだ

ラヴクラフト・カントリー /マット・ラフ (著), 茂木 健 (翻訳)

ラヴクラフト・カントリー (創元推理文庫)

朝鮮戦争から帰還した黒人兵士アティカス・ターナーは、SFやホラーを愛読する変わり者だ。折り合いの悪い父親から、母の祖先について新発見があったという連絡を受けて実家に戻ったところ、父は謎の白人と共に出て行ったと知らされる。アティカスは出版社を営む伯父と霊媒師と賭博師の間に生まれた幼馴染を伴い、父の行方を追って外界から隔絶された町アーダムを目指す。そこで待ち受けていたのは、魔術師タイタス・ブレイスホワイトが創設した秘密結社だった。

ラヴクラフト・カントリー』は1950年代のアメリカを舞台にしたダーク・ファンタジー小説となる。タイトルに「ラヴクラフト」とあるところから、いわゆるクトゥルー神話大系の傍流作品かと思われるかもしれないが、確かにラヴクラフトクトゥルー神話に言及する部分はあるにせよ、そのテーマとするのは決してクトゥルー神話にあるわけではない。

物語は8章の連作短篇風の作品とエピローグでもって構成される。メインの主人公となるのは黒人帰還兵アティカス・ターナー。彼はある理由により超自然的な術法を操る秘密結社の首領、ケイレブ・ブレイスホワイトの陰謀に関わることになってしまうのだ。章を追うごとに主人公アティカスの家族や友人たちがそれに巻き込まれることになり、様々な不気味な怪異が彼らを襲うのだ。

この『ラヴクラフト・カントリー』が独特なのは、主人公アティカスとその家族や友人が全て黒人であり、物語では超自然的な怪異そのものよりも、1950年代アメリカの熾烈な黒人差別と憎悪と虐待とが延々と描かれるといった部分にある。公民権法成立以前のアメリカ黒人には人権など存在せず、町では汚物のように扱われ、命は虫けらのように奪わる。この「恐怖」は、絵空事の超自然現象の比ではない。

タイトル『ラヴクラフト・カントリー』には皮肉な意味合いが込められている。ホラー小説作家として有名なH・P・ラヴクラフトは実は非常な人種差別主義者でもあった。彼は売れない作家としてニューヨークに在住していた際に、その不遇を安穏と街に住まう有色人種たちに憎しみをぶつけることで購おうとしたのだ。そしてその憎しみとニューヨークでの孤独が、その後ロードアイランドへと帰ったラヴクラフトに、あの輝かしくもまたおぞましいクトゥルー神話を書かせたのである。つまりタイトル『ラヴクラフト・カントリー』とは、ホラー小説作家ラブクラフトと人種差別主義者ラブクラフトダブルミーニングなのだ。

この作品のもう一つの特徴となるのは、常に暴力にさらされる黒人主人公たちが、決してやられてばかりはいない、といった点だ。彼らは皆黒人ならではのタフでファンキーな性質を持ち、相手がどんな魔術や亡霊や異形の存在であっても果敢に立ち向かおうとするのである。そして家族や友人との強い絆とチームワークがさらに大きな力となって彼らを励ますのだ。コズミックホラーと人種差別の恐怖を同時に描きながら、それと戦う黒人たちの姿を描くこの物語は、独特の味わいを持つホラー作品として完成している。

なおこの物語はTVドラマ『ラヴクラフト・カントリー 恐怖の旅路』として映像化もされている。