映画『ウェスタン』を観ながらオレはなぜ西部劇が苦手なのか考えた。

ウェスタン (監督:セルジオ・レオーネ 1968イタリア・アメリカ映画)

映画はよく観るほうではあるが、ジャンルによっては苦手なものもある。恋愛モノや人間ドラマはあまり観ないかな。社会派映画も観ないぞ。そんな苦手な映画ジャンルの一つに西部劇がある。

名作と呼ばれるような作品を幾つか観たことはあるが、あまりピンと来なかった。とりわけ苦手なのはマカロニ・ウェスタンだ。ハリウッド製の西部劇自体たいした興味が湧かなくて観ていない。「修正主義西部劇」と呼ばれる作品(最近では『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』がそれに当たる)も多く作られるようになったが、それもあまり観る気がしなかった。

(ただし『シェーン』や『荒野の7人』、『西部開拓史』あたりの古い作品は楽しんで観た記憶がある。タランティーノの『ジャンゴ 繋がれざる者』や『ヘイトフル・エイト』も面白かった。ただこれはタランティーノが好きだからで、他のタランティーノ作品と比べたら愛着度は低いかもしれない。他に、ゴア・ヴァービンスキー監督の『ランゴ』や『ローン・レンジャー』は楽しかったな。)

そんなことを言いつつ、この間Blu-rayセルジオ・レオーネ監督による1968年公開の西部劇『ウエスタン』を観た。マカロニ・ウェスタンである。ちなみにこのBlu-rayは、かつて短縮版で公開されたものと違い、2019年に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』というタイトルで日本公開された165分のオリジナル版と同等の尺を持っているので、実質『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』オリジナル版だという認識でいいだろう。

【物語】荒れ果てた砂漠の土地に敷かれた鉄道の駅。水源を確保できる砂漠の土地を買ったアイルランド人マクベイン一家は、冷酷で腹黒い殺し屋フランクの一味に情け容赦なく惨殺される。悪名高い山賊のシャイアンは濡れ衣を着せられ、そしてこの砂漠にやってきたハーモニカを吹く凄腕ガンマンはある恨みを晴らすため、秘かに復讐を計画していた……。(Amazonより)

物語では荒涼とした西部の土地を舞台に、謎めいたガンマンたちの殺戮劇と、その男たちを追撃するやはり謎めいた主人公が登場する。そしてそこに元娼婦の女が絡み、これが土地の利権を巡った血腥いいざこざを描いたものであることが次第に判明してゆく。

監督はセルジオ・レオーネ。原案がセルジオ・レオーネダリオ・アルジェントベルナルド・ベルトルッチ。音楽にエンニオ・モリコーネ。主演俳優はチャールズ・ブロンソンヘンリー・フォンダクラウディア・カルディナーレ。こういった、そうそうたるメンツにより制作された作品だ。

砂ぼこり舞う西部の町は、希望に満ちた開拓地というよりは倦み疲れ希望の見出せない流刑地のごとき世界だ。そこに集う男たちは擦り切れた衣服をまとい誰もが汗と埃と砂に塗れ、いつも重労働に勤しんでいる。その顔は陽に焼け、なめし皮のように黒々とした肌と深く刻まれた皴に覆われ、いつも寡黙で決して本心をさらけ出そうとしない。そこに登場するガンマンたちは死神のように人を屠り、ここが無法と無情の土地であることをあからさまにしてゆく。

でなあ、観ているオレはやはり、「ああ……やっぱりオレ西部劇苦手……」と思ってしまったのだ。

なぜ苦手なのか。それはなにもかにもババッチイからである。土地も町も人も、どれもが薄汚れていて、過酷だからである。そして、美しいものが一個も無いのである。もうそこで無理。さらに言うなら、なにもかにもがフロイト的な男性原理で覆われているからである。拳銃。馬。列車。当然ながらやさぐれオトコたち。なにもかにもが強力にバビューンと飛び出して帰ってこない。ああもうオトコなんて大嫌いだ(オレもオトコだが)。むさ苦しいし。臭そうだし。そしてそれが人を拒絶したような荒野に立ち現れる。ああいやだ。こんな世界いやだ。オレは好きくない。それら拒絶反応が西部劇を苦手にしているのだと思った。

もちろん、西部劇(マカロニ・ウェスタン含む)は映画史に残る多数の名作を生み出したジャンルであることは知っている。ただ、やはりオレはどうも苦手なんだ。あのマッチョでババッチくて臭そうな世界がな。とはいえこれが『マッドマックス』みたいなババッチイ・ポストアポカリプス映画だったら嫌いじゃないんだ。それって何が違うのかなと考えるに、現実と直結しない分、まだ見ぬ異世界の如く妖しくもまた美しく感じるからだろう。まあ単なる好みの問題ってことなんだけどな。