鬱蒼たるアメリカの森林地帯でヘルボーイが出遭った邪悪の存在〜『ヘルボーイ:捻じくれた男』

ヘルボーイ:捻じくれた男 / マイク・ミニョーラリチャード・コーベン

ヘルボーイ:捻じくれた男

1958年、ヘルボーイはアパラチアの山中で"捻じくれた男"と出会う。悪魔に仕えるというその男は、ヘルボーイをさらなる不可思議な体験へと誘っていく……。表題作に加え、ミニョーラ自身の筆になる作品も含んだ短編集、待望の邦訳!

今回の『ヘルボーイ:捻じくれた男』は中短編集となる。収録作は中編『捻じくれた男』短編『船に乗り込み海に出る奴ら』『モロクの礼拝堂にて』『ほくろ』の4編。

前回まで日本で刊行された3部作、『闇が呼ぶ』『百鬼夜行』『疾風怒濤』が古今東西のあらゆる神話とフォークロアを高濃度圧縮して描かれた、「ヘルボーイ・アポカリプス」とでも呼ぶべき重厚かつ壮大な長編であった為(その辺のコミックなど及びもつかない大傑作なので読むべし)、今回はちょっと息抜きにぴったりだ、と思って読み始めたのだが、あにはからんや、これがまた中短編集らしからぬ高密度な物語の数々で腰を抜かした。

特に中編『捻じくれた男』だ。アメリカのバージニア州アパラチア山脈を舞台にし、この地に住まう魔族に魅入られた青年とヘルボーイとが、恐るべき超常現象と戦いを繰り広げてゆく、といった物語だ。これまでの物語の多くはヨーロッパ各地のフォークロアをアイディアの源泉としてきたヘルボーイだが、アメリカ民話を取り扱ったのは今回が初めてなのだという。そしてこれがまた、深く、暗く、怪しい。アメリカの地にはアメリカの地ならではの《魔》が潜んでいるということなのだろう。しかし考えてみれば、ヘルボーイのそもそもの設定の大元となるクトゥルー神話は、アメリカ作家ラブクラフトの生み出したものだ。そしてその《魔》とは、アメリカ大陸に移住してきたヨーロッパ人の、その異質過ぎ広大過ぎる大地への畏敬と不安が無意識の中に結晶化したものなのだろう。ここで描かれる物語は、S・キング的であり、またジョン・カーペンター的であるとすらいえる。中編ならではの物語の描き込みが功を奏し、この短さでは考えられないような様々な要素の詰め込まれた傑作ということができるだろう。2009年にアイズナー賞ベスト・リミテッド・シリーズ部門受賞というのも頷けるというものだ。

続く『船に乗り込み海に出る奴ら』は実在の海賊船長黒髭の伝説を基に、首なしとなった黒髭の亡霊が首を求めてさまようといった物語だ。ゲーム玩具「黒ひげ危機一髪」は実はこの残虐な海賊船長黒髭が元となっているのだ。物語は短編らしいストレートな展開を迎えるが、「幽霊海賊対ヘルボーイ」というありそうでなかった組み合わせが楽しい。なおこれはヘルボーイ・ゲームの販促用として描かれた作品であるという。

『モロクの礼拝堂にて』はこの巻唯一のマイク・ミニョーラ自らがグラフィックを担当した物語で、ミニョーラならではの卓越したテクニックを堪能できる、といった部分でも貴重な作品だ。ポルトガルを舞台に邪神に魅入られたある画家の謎をヘルボーイが突き止めてゆくといった内容だ。地獄の王子ヘルボーイはやはり邪神との戦いが似合う。テンプル騎士団を改編した聖ハ―ガン騎士団の伝説というのもいわくありげで味わい深い。

『ほくろ』は短編ならではの小話で、ヘルボーイのほくろが…といった幻想的な作品。こんな短い作品でもダイナミックにグラフィックが踊るのがまたいい。

ヘルボーイの物語の多くはグラフィックとしての情報量の多さ(緻密な描き込みというのではなくて、その世界を一目瞭然に描き切る説得力)と物語それ自体の情報量の密度が相乗効果を生む稀有なグラフィック・ノベルとして楽しむことができる。グラフィックだけとか物語だけとかが突出していないのだ。ヘルボーイの物語はオカルティズムを基盤とした怪奇譚であり、テラーと呼ぶべきものではない。ヘルボーイ物語はマイク・ミニョーラの博覧強記ともいえるオカルト知識が撚り合わされ、鬱蒼たる世界を構築されているが、それをヘルボーイが腕力ひとつでぶち壊してしまう。ヘルボーイはアクションもいける物語なのだ。このインテリジェンスとフィジカルの拮抗するバランスがヘルボーイ物語の醍醐味と言えるのだろう。

○《参考》ヘルボーイ3部作レヴュー
ヘルボーイ:闇が呼ぶ
ヘルボーイ:百鬼夜行
ヘルボーイ 疾風怒濤

ヘルボーイ:捻じくれた男

ヘルボーイ:捻じくれた男