スタニスワフ・レムの『短編ベスト10』読んだ

短篇ベスト10 (スタニスワフ・レム・コレクション)

集団主義イデオロギーによって個人が厳しく抑圧される様を、独裁者の支配下、人びとが水の中に住むことを強制されている星に仮託して風刺的に描いた「航星日記・第十三回の旅」、大事故にあった宇宙船の中に唯一生き残った、壊れかけのロボットに秘められた謎を追った「テルミヌス」、高性能コンピューターに人類の歴史のありとあらゆる情報を吸収させた上で詩を作らせる、抱腹絶倒の言葉遊び「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」など、自由な実験場ともいうべきレムの短篇の中から、ポーランドの読者人気投票で選ばれた15篇中、未訳の10篇を集めた日本版オリジナル傑作短篇集。

〇レムと短編集

国書刊行会が出している「スタニスワフ・レム コレクション 全6巻」の第5回配本『短編ベスト10』が発売され、「これは読まねばなるまい…」と手にしたオレなのである。レムと聞いたら躊躇わず読む。これが真のSF者の心得なのである。とはいいつつ国書から出ているのは『大失敗』と『天の声・枯草熱』しか読んでないし、他にもアレとかソレとかまだ読んでないんだが…。ちなみに『大失敗』は個人的に『ソラリス』と同等かそれ以上の傑作だと思う。

さて改めて紹介するとスタニスワフ・レム(2006年没)は当時ソビエト連邦支配下にあったポーランドで活躍していたSF作家で、共産・社会主義国家圏という社会体制の中から西側諸国とは異質な独特の世界観を持つSF作品の傑作を生み出していた。レムで最も有名な長編作品『ソラリス』を始めとする『エデン』『砂漠の惑星』といった《ファースト・コンタクト3部作》でその名をSF史に深く刻み付け、該博な知識と深い思弁性から当代最高のSF作家であるという評価もある。

レムSFの代表作である《ファースト・コンタクト3部作》を始めとする幾つかの長編作品は「絶対のディスコミニュケーション」というテーマを孕んでいたが、それは人間中心主義的な欧米SF作品への強烈なアンチテーゼであると同時に、レムが身を置いた社会主義国家における国家と個人との断絶、そこから生まれる意思疎通不能の絶望感が大きく影を投げかけた物語だったのではないかと思う。

さてそういったペシミスティックな長編作品とは裏腹に、レムの短編には茶目っ気に満ちた諧謔性の高い作品が多く並ぶ。緊張感に溢れた緻密な構成を成す長編と比べ自由闊達で変幻自在な遊び心に溢れたこれら短編はレムにとってもひとつの思考遊戯であったのだろう。しかし一見リラックスして書かれているように思えるこれら短編ですら、そこに持ち込まれた情報量と論理展開、そしてメタファーとして透けて見える社会主義体制へのアイロニーは剃刀のように研ぎ澄まされている。

この『短篇ベスト10』はポーランドにおけるレム短編の読者人気投票上位作品に選者の好みを付け加え、さらに日本において15篇から10篇へとシェイプアップして刊行された作品集だ。レムの短編には幾つかのカテゴリーがあり、これは「泰平ヨン」「ロボット宙道士トルルとクラパウチュス」「宇宙飛行士ピルクス」といった主人公が活躍するものだが、この作品集にも彼らの物語が万遍なく収められている。

〇『短編ベスト10』

さてざっくりと中身を紹介してみよう。
「三人の電騎士」…氷の生命体"氷晶人"の惑星へ武運を試す為訪れた、ちょっと頓馬な三人の電騎士たちの運命。氷、オーロラ、宝石など煌びやかなイメージが並ぶファンタスティックな一篇。まずは小手調べ。
「航星日記・第二十一回の旅」…泰平ヨンの降り立った惑星は機械が自己生成し人々は遺伝子操作であらゆる形態へ自由に変化した世界だった。異形の惑星の歴史をひたすらナンセンスに描いた作品であるが、同時に旧弊な宗教観が、死、生命、生存形態の在り方が膨大に枝分かれした世界で全て無効になってしまう様が描かれ、一つの宗教批判となっているのだ。
「洗濯機の悲劇」…自意識を持った洗濯機から始まるドタバタ劇。勝手に増殖と拡散を繰り返すロボットとその管理の為にいたちごっこの法整備を繰り返す人間のナンセンスを描くが、その本質にあるのはA.I.の人権という未来的な問題であり、そして生命/意識というものの定義の揺らぎなのだ。
「A・ドンダ教授 泰平ヨンの回想記より」…アフリカの小国でコンピューターに古今東西のあらゆる魔術をインプットし続ける博士の顛末は。高密度に集積した情報が質量へと変転するといったトンデモを描きながら、コンピューター管理化された情報社会の脆さを既に予見した作品だ。
「ムルダス王のお伽噺」…中世が舞台のお伽噺のように始まりながら、物語は電脳化されあらゆるネットワークに意識を広げた一人の王の情けない猜疑心の物語へと次第に変わってゆく。これなどもある意味サイバースペースSFの先駆けとも言えるかもしれない。
「探検旅行第一のA(番外編)、あるいはトルルルの電遊詩人」…詩の自動生成マシンを巡る大法螺話。詩を作る知性を形成する為にまず生命誕生のシミュレーションから始め文明と歴史を生み出させ…という部分から既に馬鹿馬鹿しい。とは言いつつこれは暴走するA.I.の恐怖をもじんわりと描くのだ。
「自励也エルグが青瓢箪を打ち破りし事」…ロボット物語。「三人の電騎士」同様、宇宙の星々をあたかもサッカーボールかなにかのように扱ってしまうファンタジックで稀有壮大な法螺話であり、『ほら男爵の冒険』のサイバネティクス版とも言うことが出来るだろう。
「航星日記・第十三回の旅」独裁政権の暴走により何故か水にまみれてしまった惑星に拘束された泰平ヨン。あっちもこっちも水だらけの中ブクブク泡を出しながらの暮らしを余儀なくされる住民たちを面白可笑しく描くが、これは当然硬直化した官僚主義への痛烈な批判を描いたものだ。
「仮面」…この作品集のなかで一種異様な輝きを見せるのがこの作品だ。ヨーロッパ中世と思しき宮殿で目覚めた王女らしき女性の意識の流れを追いながら、その奇妙に研ぎ澄まされた思考の過程にどこか戸惑いつつ物語を読み進めてゆくと、なんと突然…という恐るべき展開を見せる作品である。そしてさらに恐るべきは一切説明が無い、ということだ。そういった部分で難解な物語ではあるが、これは"性"の奔流とその執着を徹底的にカリカチュアすることで作られた物語なのではないか。個人的には日本の安珍清姫伝説を思いだした。作品集の中でも読み応えナンバーワンの作品である。
「テルミヌス」…大事故に遭い全乗組員が死亡した宇宙船を検分する宇宙飛行士ピルクスが見たものとは。単行本『宇宙飛行士ピルクス物語』にも収録されているこの物語はまさに【宇宙怪談】とも呼ぶべき恐怖が描かれる。かつて読んだ際にその恐るべき展開に慄然としたものだった。テクノロジーがどこまでも高度に発達した未来にあってなお、合理性の枠外に存在する理解不能な"何か"。逆にこれは徹底的な科学合理主義者だったレムだからこそ生み出せた怪談なのかもしれない。

いずれ劣らぬ知的で思弁性に満ちた作品が並び、レムが「SF界のボルヘス」と謳われるのも頷けるというものだ。ただ、ちょっとだけ苦言を呈するなら、時代がかった訳文がどうも読み難いことも確かだ。「泰平ヨン」「自励也エルグ」などといったネーミングも21世紀の若い読者に向けて再考の余地があったのではないか。そういった部分を抜きにすれば、文句無く当代一のSF短編集であることは間違いない。