映画好きの方にこそお勧めしたいクライム・ノヴェル『黄金の街』(リチャード・プライス著)

ニューヨーク、ロウアー・イースト・サイド―かつて黄金の未来を夢見た移民たちが最初に住み着いた街。さまざまな人種の人々が暮らすこの街に、カフェ・バークマンはあった。雇われたばかりの若いバーテンダーが路上で射殺され、犯行時に一緒にいたマネージャーのエリックが警察に連行されるが―。
カフェ・バークマンに勤めながら脚本を書いているユダヤ人のエリック。継父と団地に住むヒスパニックの少年トリスタン。妻と別れ息子たちをもてあますアイルランド系の刑事マッティ。一人の青年の死が人々の哀しみに光を当て、それぞれの人生を静かにつないでいく。米読書界絶賛の傑作長編。

ニューヨークの街で深夜、一人の青年が射殺される。彼の死をきっかけに、様々な人間たちの人生に波紋が投げかけられてゆく…。リチャード・プライスの描くクライム・ノヴェル『黄金の街』で描かれるのは、チンケなチンピラによる、単純な物取りの殺人だけだ。異様な連続殺人や巨大な陰謀がそこで描かれるわけでは決してない。しかしたった一人の死は、それはありふれたちっぽけな死にすぎないのだろうか。たった一人だろうが何だろうが、死というものは、しかもそれが殺人であるならば、決して軽いものである筈が無い。この物語は、決して奇を衒うことなく、一つの殺人事件が、その被害者や加害者に関わる大勢の人間たちのその後の人生を、どのように変え、そして彼らがどのように動いてゆくのか、を丹念な筆致で描いた作品だ。
確かに、派手でびっくりするような展開は無いにせよ、この「丹念な筆致」がこの物語を第一級の作品にしていることは間違いない。この丹念さは、実は作者が実際にニューヨークの街を歩き、様々な人や警官にリサーチしながら、その生の声や実際にあった出来事を積み重ね、それをフィクションの中に丁寧に生かした結果なのだそうだ。だから、この物語では一つの物事に対する人間の反応や対応の仕方が一筋縄ではなくて非常に面白い。一筋縄ではない、というのは、時として予想を裏切り、普通ならしないであろうと思われるような行動や言動をついついしてしまう、といった部分だ。
例えば主人公の一人、犯罪現場に居合わせ、同じくチンピラに恐喝を受けた青年エリックだ。素直に犯人の情報を警察に与えればそれで済むものを、警官の態度が強硬すぎたために彼は頑なに協力を拒む。そして協力を拒んだばかりに彼は犯人と目されてしまう。殺された青年の父ウィリアムは、悲しみの為に常軌を逸した行動に出るが、常軌を逸し過ぎて、本来なら被害者でもあるのに非常に不快な印象をみせてしまう。事件を追う警官のマッティを苛立たせる警察の官僚主義は信じられないほど対応が鈍重すぎて、その有り得なさが逆にリアルに感じさせる。殺人を犯した少年トリスタンは、初めての殺人に委縮しない。むしろ人として自信が付いてしまう。そして彼は極悪人でもなんでなく、血の繋がらない兄弟をこまめに世話するといった面を見せる。それぞれの登場人物のバックストーリーの書き込みは膨大で、肉付けも非常に充実していて、生きているように生々しい。これがこの物語の魅力だ。
そういった作品の魅力と併せ、作者であるリチャード・プライスがハリウッドでも名うてのシナリオライターであることも特筆すべきだろう。特にマーティン・スコセッシとの親和性が高い。スコセッシの「ハスラー2」、オムニバス「ニューヨーク・ストーリー」のスコセッシのパート、スコセッシ製作の「恋に落ちたら…」の脚本、スコセッシが監督したマイケル・ジャクソンのPV「BAD」の脚本、ロバート・デ・ニーロ主演「ナイト・アンド・ザ・シティ」の脚本も手掛けているのだ。さらに自身の著作もほとんど映画化されており、「ワンダラーズ(フィリップ・カウフマン監督)」「ブラッドブラザーズ(ロバート・マリガン監督)」「シー・オブ・ラブ(ハロルド・ベッカー監督)」「クロッカーズスパイク・リー監督)」「フリーダムランド(ジョー・ロス監督)」とそうそうたるものである。リチャード・プライスの書くものが映画的であるのと同時に、映画化したくなるような魅力ある作品であるということなのだろう。そういった部分で、この『黄金の街』も映画的であるということもでき、映画好きの方にお勧めしてみたいとちょっと思ってしまった。

黄金の街 (上) (講談社文庫)

黄金の街 (上) (講談社文庫)

黄金の街 (下) (講談社文庫)

黄金の街 (下) (講談社文庫)