悲しくて醜くて受け入れがたいもの 〜アメリカ・オルタナティブ・コミックの傑作 『ブラックホール』

ブラックホール チャールズ・バーンズ著

ブラック・ホール (ShoPro Books)
1970年代、アメリカ、シアトル郊外の小さな町。ここで、10代の若者だけが感染する伝染病が発生する。感染原因は性的接触。感染した者は肉体におぞましい病変が生じる。病変の出現の仕方は一定しない。顔に痘痕の出来る者、顔が醜く変形する者、老人のような容姿になってしまう者、体中の皮が剥がれる者、尻尾の生えだした者、そして、喉に小さな口が現れる者。人に明かせぬ怪物のような病変を持った若者たちは、これまで属していた社会から逃げ出し、町外れの森の奥に小さなコミュニティを形作る。しかしそのコミニュティにも次第に軋みが生じ始めていた…。

アメリカ・オルタナティブ・コミック界の帝王と呼ばれるチャールズ・バーンズのコミック『ブラックホール』は、醜い肉体を持ってしまった若者たちを中心に描かれるホラータッチの青春群像劇である。白と黒のコントラストが激しいグラフィックはいつもそこが漆黒の闇の中のように感じさせる。舞台である70年代の風俗描写や若者たちのファッションはその時代のアメリカの混乱を思い出させずにはいられない。日常的なことのように描かれるドラッグ摂取描写は若者たちの行き場の無い鬱屈を感じさせ、それと呼応して悪夢的な怪物と汚物と瓦礫と化した終末のイメージが執拗にページを覆い尽くす。

なんとかここから抜け出さなければ。
今抜け出さなければ永遠にここをさまようことになる


(p173)

未知の伝染病、肉体の怪物化、繰り返し繰り返し描かれる悪夢。しかし一見ホラー・ストーリーのように描かれるこの物語は、実は恐怖や怪奇をテーマとした物語では決してない。肉体の変化による不安、それによる孤独と疎外感。醜い姿と化した自分への嫌悪。馴染むことの出来ない社会からのドロップアウト。孤独な者たちが集まって形作るささやかでいびつなコミュニティ。それと同時に描かれる、ぎこちのない、不器用な恋愛。孤独ゆえの愛への逃亡。その愛の不確かさ、不器用だからこその愛の喪失とその悲しみ。そんな、青春期の若者たちが一度は通る、「悲しくて醜くて受け入れがたい」暗い道を、卓越した描写力で描き切ったのがこのコミックなのだ。

こんなバカじゃなきゃ…そうだ、生まれた日からおまえはずっとバカだったよ
こうしなきゃいけない。これしかないんだ
バカだな やるんだ


やれ


(p303)

彼らは皆性的接触によって体のどこかに醜い 「烙印」を受ける事になる。その醜さとは即ち「大人になること」であり同時に「子供であり続けることの終焉」を意味するのだろう。決して消えることのないその醜い烙印に、ある者は絶望し、あるものはそれを受け入れなんとか生きて行こうとする。その烙印はそれ自体がイニシエーションであり、生涯背負わねばならぬ「業」なのだ。それは痛みに満ち、苦悩に溢れている。その痛みと苦悩がいつか消えるのだろうという保証はどこにもない。そして一度足を踏み入れてしまったこの暗い道に、出口があるとはどうしても思えないのだ。希望なんかない。しかしだからこそ、血塗れになりながらでも希望を見つけなければならない。

キース、怖いの
何かステキなことを話して。
何もかもうまくいくって言って


(p333)

チャールズ・バーンズの『ブラックホール』は、こうした青春期の暗黒が無慈悲なほどに徹底的に描かれてゆく。この物語はそれ自体が血を流し、毒の吐息を吐き、苦痛の悲鳴をあげてさえいるように思えて仕方なかった。おぞましく、暗く、孤独で、惨めな青春の墓標。自らの青春期に、なにがしかの躓きを覚えたことのあるものならば、この物語の終焉に待つものに、静かな衝撃と深い共感を受けることは間違いないはずだ。個人的には2013年上半期に刊行された海外コミックの中でも最大の問題作であり最高の傑作であると確信した。興味の湧いた方は是非手にとって読んでいただきたい。その素晴らしさは保障する。

ブラック・ホール (ShoPro Books)

ブラック・ホール (ShoPro Books)

○『ブラック・ホール』PV
http://www.youtube.com/watch?v=AbsUcc6eytg:movie:W620