闇よ、我が手をとりたまえ / デニス・レヘイン

闇よ、我が手を取りたまえ (角川文庫)

闇よ、我が手を取りたまえ (角川文庫)

精神科医ディアンドラのもとに脅迫状が届いた。どうやら巨大マフィアが絡んでいるらしい。気の進まない仕事になりそうだ。そこへ手足を十字に磔にされた惨殺死体が発見され、事件は意外な方向へ。マフィアよりもむしろ恐ろしい、平凡な暮らしを続ける人々の過去と心の闇へと転がっていく。次々と発見される磔刑の死体。異常殺人は、儀式のように繰り返されていく。それはちょうど20年前にアレック・ハーディマンが起こした事件と同じだった。そんななかで、獄中のアレックがパトリックとの面会を指名してくる。狂気にとりつかれたアレックの造型はさしずめ『羊たちの沈黙』のレクター博士といったところ。なぜアレックはパトリックを知っているのか。獄中にいるのに、なぜ同じ殺人がくり返されるのか。

デニス・レヘイン、ミステリーを読まない人でも『シャッター・アイランド』や『ミスティック・リバー』などの映画化作品でも知られる超売れっ子作家といえばお分かりになるかもしれませんね。
で、今回読んだ『闇よ、我が手をとりたまえ』、カップル探偵が残虐な連続殺人事件を追っていくっていう物語なんですが、売れっ子作家だけにこれでもかとばかりの急展開と残虐描写で、代金の分はお腹いっぱいにしてあげまっせ、というサービス精神は満載なんですな。ただなんかこういう天才的なまでに狡猾なシリアル・キラーが血飛沫切り株乱れ飛ぶド派手な連続殺人を繰り広げる、っちゅう物語ってちょっと食傷気味なんだよなあ。
なんだかもう登場人物全員今にも血ィ吐きそうな暗い顔して過去の因縁だの人間関係の確執だの心の傷だの闇だのってやってるどこまでも真っ黒な鬱展開ってさあ、言っちゃなんだけどただ単に深刻ぶってるだけとちゃーーうんか?とオレなんかは思うわけですよ。三島由紀夫が昔言ってた「回復したがらない病人のような小説」ってこういうの言うんじゃない?
よくあるんだけど社会とか精神とかの暗部ばっかり描きまくれば物語として深い、なんていうのは絶対誤解でさあ、それって単に露悪的なことでしかないんじゃねえのかなあ?これがホラーだと露悪的なこと自体が目的だから、「いやあバカなことやってんなあ」と楽しく小説読んだり映画観たりできるけれど、マジこいてやられるとシャレの通じなさに胸焼け起こすんだよなあ。
だからこの小説も血飛沫と死体と残虐行為を楽しめばそれでいいような亜流ホラーで、主人公たちの葛藤とか苦悩とかは、まあ、どうでもいいっちゃあどうでもいいような湿っぽいお話ではあったな。