失踪とオレ 『失踪日記 / 吾妻ひでお』

失踪日記

失踪日記

誰しもがそうなのかは判らないけれど、「ここから消え去ってどこか別の場所で人生をやり直したい」「いまあるシガラミから逃れて誰も知らない場所で暮らしたい」と思ったことがある人は多いんじゃないだろうか。こんぐらかった人間関係や社会との拘わりをリセットしたい。そして、知らない町で、今までと違う人間になって生きたい。
吾妻ひでおといえばSF者にとっては不条理日記であり星雲賞であり、「ああ、オレってSFだったんだ…(背中に“SF”という形の寄生生物)」であり「シッポが無い」であり「なはー」であり「アドロン星人!」であるのである。シュールでありながら実は下半身的な煩悩の宇宙をグルグル回っているだけ、という分かりやすいオチ、しかしながらSF小ネタの展開ではあの当時最強だったような気がする。星野宣之「はるかなる朝」ネタ(「お前の番だよクレイトー」)に諸星大二郎孔子暗黒伝」ネタ(「ズルッ」)を連携させたセンスは当時のオレの友人の間では驚愕と喝采でもって受け入れられた。
本書はそんな作者が断筆後に失踪・ホームレス・自殺未遂・転職・うつ病・アル中・入院、をしていた、という驚くべき事実を本人自らコミック化したもの。悲惨ではあるが、実を言うと、そこまで突き詰めていないとはいえ、似たような生活をした事がある・してるオレとしては身につまされる内容である。そのうちホームレスになる事があったらこの本が案外マニュアルになるかもしれない。また失踪中のガテン生活についてはいままさにそういう職場で働いているオレにとっては、よく知っている話や聞いた事がある話であり、普通に読んでしまった。アル中篇は今現在オレ自身がアル中予備軍なのでこれも参考になりました。なるほど、アル中って一生治らないんだ。
かつてのサブカルな人たちにとってはかなり重い内容らしいのだが、オレ的にはもう殆ど足を踏み入れていた・いる生活なので逆に読んでいて勇気が湧くというか、なんだ、オレだけじゃないのか、という気にさせられた。外で寝るのは「アオカン」と呼んだ。アオカンは体を壊すから、食い詰めてもやらないほうがいい。
マンガとしても十分面白いし、はっきり言ってどんな人にでも薦めたくなるマンガである。それが「ああこんな風にならなくてよかった」「自分はならないけどあの世界の人たちはどうやって生きてるんだろう」という興味本位でも良いし、表現者の葛藤とかひとつの堕落論として読む事もできるのだ。
それにしてもなせこのマンガが今これだけ話題になっちゃっているのだろう。社会から足を踏み外す事の恐怖を、みんな実は心の中に持っているからなのだろうか。
失踪というのは人生をもう一度リセットしているようで、実際はそうでもなかったりする。寺山修二の本で読んだが、失踪した男の居場所を見つけてみたら、以前と同じ様な職に就き、似たような奥さんを貰い、似たようなアパートで生活する男の姿があったという。結局、一からやり直すにしろ、一番楽なのは、それまでの自分の見知ったパターンを繰り返す事なのだ。寺山はここで、「失踪」というロマンチズムに幻滅する。環境を変えた所で自分は変わらない。どこに逃げ出しても自分からは逃げられない。即ち、逃げ出す場所などどこにも無いんだ、という絶望。つまりは、ここで生き続けるしかない、という諦念。
そういえば「日々の凧あげ通信」の大塚幸代さんがクイックジャパン最新刊Vol.59でこの「失踪日記」の事に少し触れていた。そこで「…知らない町で暮らす。単純作業の、肉体労働の仕事を見つけて、質素なアパートを借りて。…誰とも仲良くなる事無く、結婚もしない。…そこで淡々と一生を暮らす」という失踪願望のある青年について書いていたけれど、この青年の願望は、全てオレの今現在の現実なので、大いに笑わせてもらった。青年よ!悪くは無いぜ!早くオレの仲間になれよ!
それにしても、オレは失踪した訳じゃないけど、この東京での誰とも触れ合うことのない無為な日々と隠遁生活全ては失踪となんら変わりなかったんだな、と今にして思えてきた。オレは、いったい、何から逃げたかったのだろう?
あとオレ的にはクイックジャパンみたいなサブカルものにはあまり近づかないことにしている。橋本治も言っていたが全てが情報的にあからさまになっている現代でメインのカルチャーもサブなカルチャーももはや無いのだと思う。そこであえて「サブ」と言い切ってしまっては拙いのではないかと思う。マイナーな情報に内輪受けみたいな連帯感を持つ事自体が志が低い。さらにサブカル文化人という奴がオレは大嫌いだ。むしろメインストリームで売れまくっても極端な事ばかり言って毒を吐いてるような奴のほうがオレは信用できる。…とか言ってクイック・ジャパンの今回の漫画特集、大変楽しく読ませていただきました…。
クイックジャパン vol.59

クイックジャパン vol.59