そして、東京ゲームショウのもう一つの楽しみはコスプレーヤーさんたちの参加です。会場にはコスプレイヤー専用の更衣室もあって親切なつくりなんですよ。様々なゲームのコスチュームに身を包んだコスプレーヤーさんが闊歩することで、ゲームショウはまたさらに盛り上がるんです。また、これらコスプレーヤーさんの撮影が出来る溜まり場、みたいなのが暗黙の了解で存在していて、コスプレーヤーにはカメラ小僧が群がってある意味ゲーム展示ブースよりも盛り上がってます。
オレはこのコスプレーヤーという人たちが好きですね。架空の世界の衣装に身を包んだ時のこの人たちの生き生きした表情がとても好きなんです。だって、本当に楽しそうな顔してるんだもん!またこれはロールプレイという概念の一つの行き着く先なのではないでしょうか。
美麗な衣装に身を包む彼らも、実際は生地を調達したり寸法を測ったり型紙を起こしたり裁縫したり、それこそ地味な作業をしてるからこそ今の衣装があるんでしょう。このようなスキルと労力を厭わない気持ちがあるのに、彼らが作るのが先端ファッションではなくゲームキャラの衣装だって言う所に熱いものを感じるんです。ようするに、現実世界でどうなろうとか思っちゃいないんですね。
しかし例えば、オレらの現実の、『スーツ』という衣類だって、実は“社会人”という便宜的世界のコスチューム・プレイじゃないですか。洋服を着て〜〜になりきる、といった意味では両者は一緒なんですよ。洋服はその人の経済状態と生活環境を説明し男女の性差を説明するという意味では、洋服を選ぶ・着るという行為自体がひとつのコスプレだって言うことだって出来るわけでしょう。こう考えると、彼らを奇異な目で見る根拠なぞ何処にもないと気付くはずですよ。
だからこそ、オレはコスプレーヤーを面白おかしく紹介するTVのニュースが大嫌いなんですよ。