デッドプール&ウルヴァリン (監督:ショーン・レビ 2024年アメリカ映画)
『デッドプール』最新作はウルヴァリンが登場!
喋くりお騒がせヒーロー、デッドプールの劇場映画第3弾はマーベルヒーロー『X-メン』の「荒ぶる長爪野郎」、ウルヴァリンとの共演作である。方やダーティオチャラケキャラ、方や悲壮なる孤高の戦士、デッドプールが股間のモッコリを強調すればウルヴァリンは眉間に皺寄せ咆哮する!この月とすっぽん、水と油、鯨と鰯、提灯に釣り鐘、雲泥万里なヒーロー二人が出会ったとき、いったい何が起こるのか!?という映画が『デッドプール&ウルヴァリン』(以下『D&W』)だ!?主人公デッドプールにライアン・レイノルズ、ウルヴァリンにヒュー・ジャックマン。監督は『フリー・ガイ』『アダム&アダム』、ドラマ『ストレンジャー・シングス 未知の世界』のショーン・レビが務めた。
【STORY】不治の病の治療のために受けた人体実験で、自らの容姿と引き換えに不死身の肉体を手に入れた元傭兵のウェイド・ウィルソンは、日本刀と拳銃を武器に過激でアクロバティックな戦闘スタイルのデッドプールとして戦いを続けてきた。戦う理由はあくまで超個人的なものだったが、そんな彼が世界の命運をかけた壮大なミッションに挑むことになってしまう。この予測不可能なミッションを成功させるため、デッドプールはウルヴァリンに助けを求める。獣のような闘争本能と人間としての優しい心の間で葛藤しながらも、すべてを切り裂く鋼鉄の爪を武器に戦ってきたウルヴァリンは、とある理由で、いまは戦いから遠ざかっていたが……。
今度は《マルチバース》展開だ!
デッドプールとウルヴァリン、人気ヒーロー二人が肩を並べるこの映画だが、とはいえウルヴァリンって2017年公開の映画『LOGAN/ローガン』で壮絶なる死を遂げたはずじゃなかったっけ?と思ったあなたは立派なスーパーヒーロー映画ファンだ。そう、確かにウルヴァリンは死んでいた。この世界では。しかし今作に登場するウルヴァリンは、例のあの《マルチバース》世界、即ち多次元宇宙の別の世界から連れて来られらたウルヴァリンだったのだ。コスチュームが変わってるのはその辺の理由なんだね。そう、今作はここ最近MCU映画で展開している《マルチバース》テーマ作品の一環だったという訳だ!
《マルチバース》が持ち込まれていることから映画『ドクター・ストレンジ:マルチバース・オブ・マッドネス』や『スパイダーマン:ノー・ウェイ・ホーム』のように多次元世界に住んでいる筈のアレやらコレやらのヒーローが山のように登場するのがまずはお楽しみだ!ネタバレは避けるが「嘘だろオイ!?」と驚愕し狂喜させられるキャラクターの登場が目白押しなので、自分の目で確かめたい人は直ぐにでも観に行くのが得策だ!あんなキャラこんなキャラの登場で映画は既にお祭り状態であり、これを堪能する為だけでも観る価値のある作品となるだろう。
《マルチバース》だろうがなんだろうがやっぱりハチャメチャ!?
そしてもう一つの《マルチバース》作品、ドラマ『ロキ』の根幹となる特殊機関《TVA》がこの作品の重要なファクターとなる。物語ではこの《TVA》が暗躍し、『ロキ』におけるとある「特異時間点」が『D&W』のメイントとなる舞台だからだ。ここにおける『マッドマックス』パロディともいえる展開はファンをニヤリとさせるだろう!《マルチバース》や《TVA》、さらに「神聖時間軸」という概念はここ最近のMCU映画をややこしく分かり難くカッタルイものにした感は無きにしも非ずだが、ことこの『D&W』においては「なんでもアリのハチャメチャな賑やかさ」を持ち込むことに成功し、愉快で奇想天外な世界になっているんだ。このハチャメチャさは今作を監督したショーン・レビの『フリー・ガイ』に通じるものを感じたな。
そしてなんといっても見所はデッドプールとウルヴァリンの暴力と流血に塗れた掛け合い漫才展開だろう!オチャラケの過ぎるデッドプールに瞬間湯沸かし器のウルヴァリンがブチ切れ、殺し合い以外の何物でもない大喧嘩が勃発するが、なにしろ二人とも不死身なので勝負がつかない!そりの合わないこんな二人が喧々諤々としながら、強大な敵を殲滅するために次第に共闘してゆく様がわくわくさせられるのだ。今作における最凶ヴィランの名はカサンドラ・ノヴァ、とある超強力スーパーヒーローの双子の妹となるが、デッドプールとウルヴァリンの力を持ってしても太刀打ちできない凄まじいパワーを操る存在なのだ。
「負け犬の起死回生」を描いた物語
このように見所満載の『D&W』だが、単にアクションやキャラの楽しさだけで魅せる物語では決してない。例えば『デッドプール』第1作の本質的なテーマが「なけなしの愛」であり、『デッドプール2』のテーマが「真の友人の存在」であったように、この『D&W』のテーマとなるのは「負け犬の起死回生」なのだ。
デッドプールは不死身の肉体と超絶的な戦闘能力を持ちながら、実のところアベンジャーズにもX-メンにも混ぜてもらえないはみだし者でしかないことに気を病んでいた。デッドプールは世界の平和なんかどうでもいいシニカルでニヒリスティックな超個人主義者であり、それがこのヒーローの最大の魅力だったが、ここにきて「自分は結局何物でもない」というアイデンティティクライシスを起こしてしまうのだ。おまけに彼女の愛が揺らいでいると早合点し、世界と自分を繋ぎ止めていたものがグズグズと崩れてしまうのだ。こうして「最強のダーティヒーロー」であるはずの彼は自らを「負け犬」と思い込んでしまうのだ。
愛されもしない、望んでいた社会にも帰属できないという孤独、そこから生まれる自らが「負け犬」でしかないという自己否定感。これはスーパーヒーローの物語でも何でもなく、心を病んだ一人の男の魂の咆哮の物語に他ならない。その中で世界の危機を知ったデッドプールは、世界を救うとか地球を救うとか主語の大きい目的のためでなく、自らの孤独な生を贖ってくれた「真の友人たち」のためだけに、なけなしの力を振り絞ろうとする。しかし相手は不死身の彼もウルヴァリンでさえも太刀打ちできない最強最悪の敵なのだ。
けれどもデッドプールは戦いを止めない。それは、もう彼は「負け犬」であることに飽き飽きしていたからだ。映画『デッドプール&ウルヴァリン』は、下品でオチャラケた内容を持ちながらも、一人の人間がどう生きるのか、生きたいのか、その根幹を描いた物語でもあると思うのだ。