アメリカン・マスターピース 古典篇 (柴田元幸翻訳叢書) / 柴田元幸 (翻訳)
柴田元幸が長年愛読してきたアメリカ古典小説から選りすぐった、究極の「ザ・ベスト・オブ・ザ・ベスト」がついに登場! ホーソーン「ウェイクフィールド」、メルヴィル「書写人バートルビー」、O・ヘンリー「賢者の贈り物」......アメリカ古典文学の途方もない豊かさを堪能できるアンソロジー。ポー「モルグ街の殺人」、ヘンリー・ジェイムズ「本物」の豪華訳し下ろしもたっぷり収録の、贅沢極まりない傑作集
お気に入りの海外小説翻訳家の名を挙げるなら、岸本佐知子氏と柴田元幸氏になるだろう。「お気に入りの翻訳家」などと書くとなんだかとてもマニアックに思われるかもしれないが、このお二人、いつも変わった短編小説ばかり訳していて、そういった好みが被るのである。このお二人が共訳した短編集が1冊あるのでここで挙げておこう。
さて今回紹介する『アメリカン・マスターピース 古典篇』は、柴田元幸氏による翻訳叢書シリーズの1冊となる。この「アメリカン・マスターピース」シリーズは今回の古典篇の他に純古典篇が刊行されており、さらに戦後篇、現代篇の刊行が予定されているらしい。
さてこの古典篇となるが、マスターピースと名付けられているように、アメリカ古典文学の錚々たる作家たちの名前が並ぶ(下記【収録作品】参照のこと)。実はそれほど文学小説を読まないオレとしては初めて読む作家が多く、ラインナップに気圧されながらも受けて立つことにしたのである(受けて立つものなのか?)。
とはいえ実際読んでみると、柴田氏らしい「ちょっと変わった物語」が多く感じられ、この辺りは取っつきがよかった。それと読んでいて感じたのは、アメリカ文学史を代表する作家の名が連なっているが、彼らの代表作というよりも、柴田氏が翻訳家として「訳してみたい」「訳し甲斐ある」と思わせる、ある種の「翻訳の難易度・満足度」に挑んだ作品セレクトじゃないかな?という気がした。
ザックリ感想を。 冗談で20年間行方不明者になってみた男の話「ウェイクフィールド」(ナサニエル・ホーソーン)、雇用者の命令を頑なに聞かない奇妙な男の話「書写人バートルビー-ウォール街の物語」(ハーマン・メルヴィル)、貧乏貴族がモデルに雇ってくれと画家にねじこむ話「本物」(ヘンリー・ジェームズ)、どれも現実では有り得なさそうな変な物語で、柴田氏好みだなあとニンマリ。「モルグ街の殺人」(エドガー・アラン・ポー)は実は生まれて初めて読んだのだが、緻密な構成に度肝を抜かれた。
O・ヘンリー「賢者の贈り物」はベタベタにO・ヘンリーしており、そのベタベタぶりにあえて注目する部分に柴田氏的なアメリカ文学史の在り方を感じさせる。マーク・トウェイン「ジム・スマイリーの跳び蛙」は単なる大馬鹿野郎噺なんだが、マーク・トウェインでわざわざこれを持ってくるところにこれも柴田氏独特のアメリカ文学観を感じさせるんだよなあ。一方エミリー・ディキンソンの「詩」は、しみじみと素晴らしい作品が並びディキンソンに大いに興味が惹かれた。
そして華氏零下50度という極寒のカナダの大地を走破しようという男の物語ジャック・ロンドン「火を熾す」、「死が目の前に待ち構えている」というギリギリの状況と人間心理を迫真の筆致で描き、「文学は何を描き出すことができるのか」ということをまざまざと眼前に叩き付けた凄まじい1作だった。これ、まさに自分がその状況に置かれているかのような描写で、なぜこんなものが描けるのだ?と呆然としてしまった。
【収録作品】 「ウェイクフィールド」ナサニエル・ホーソーン/「モルグ街の殺人」エドガー・アラン・ポー/「書写人バートルビー-ウォール街の物語」ハーマン・メルヴィル/「詩」エミリー・ディキンソン/「ジム・スマイリーの跳び蛙」マーク・トウェイン/「本物」ヘンリー・ジェームズ/「賢者の贈り物」O・ヘンリー/「火を熾す」ジャック・ロンドン