巨大竜の亡骸を巡る幻想譚最終章/『美しき血 (竜のグリオールシリーズ)』

美しき血 (竜のグリオールシリーズ) / ルーシャス・シェパード (著)、内田 昌之 (訳), 日田 慶治 (イラスト)

美しき血 竜のグリオールシリーズ (竹書房文庫, し7-3)

動かぬ巨竜グリオール。テオシンテ市に横たわる彼の体には、川が流れ村があり、体内では四季が巡る。死せず体は動かずともその巨体には、いまだ謎が多い。グリオールの血液を研究していたロザッハーは、黄金色にきらめく美しき血に混沌とした多彩な快感を与える効用があることを発見する。四年後、ロザッハーは“マブ”と名付けた竜の血から精製した麻薬により巨大な財を成す。しかし彼はその代償として、テオシンテに渦巻く権力と暴力、そして決して逃れられぬ巨竜の思念に翻弄されていく――。 〈竜のグリオール〉シリーズ、唯一の長篇にして最終作。

その竜は数千年前にある魔法使いとの戦いに破れ、仮死状態となったまま山の如き巨躯を原野に横たえていた。その大きさ、全長1600メートル。巡る歳月のうちに竜の周囲には草木が生い茂り、数知れぬ不気味な生物たちが巣くい、さらには人間たちの町までができていた。そして動かぬ竜の邪悪な思念はそこに住む人々の心を侵し、ねじくれた運命へと導いていったのである。その竜の名は、グリオール。

アメリカのSFファンタジー作家ルーシャス・シェパードの描く〈竜のグリオール〉は、6篇の中短篇と1篇の長編によって構成され、作者の死去により終焉を迎えたダーク・ファンタジー・シリーズである。日本ではこれまで『竜のグリオールに絵を描いた男』『タポリンの鱗』の2冊の単行本により中短篇が紹介されていたが、残された1篇の長編にして完結編となる作品がいよいよ刊行の運びとなった。タイトルは『美しき血』、これまでの中短篇と同じように、グリオールの存在により数奇な運命を辿ることとなった一人の男の物語となる。

主人公の名はリヒャルト・ロザッハー。食い詰め者の医者だった彼はある日、グリオールの血液から類稀な多幸感を生み出す麻薬を精製することに成功、それにより莫大な富を得ることになる。しかしその富は同時に為政者と神聖教会の注意を惹き、ロザッハーは陰謀術数渦巻く泥沼の権力闘争へと巻き込まれてゆくことになるのだ。同時にロザッハーはその闘争の陰に、グリオールの不可解にして謎の思惑が絡んでいることを次第に気付いてゆくのだった。愛と裏切り、謀殺と抗争、遂に国家間の戦争にまで発展するグリオールの「美しき血」を巡る物語が今始まる。

物語は一人の男の栄枯盛衰と漂泊の物語を描き出すものである。このシリーズに登場する誰もが皆薄暗い情念とアンモラルな企みを胸に秘めた者たちばかりであるように、今作の主人公ロザッハーもまた計算高い悪党であり、人を簡単に謀る男として登場する。しかし同時に人間らしい脆さと弱さを持った男でもあり、数々の陰謀に巻き込まれ何度も心に傷を負う事で彼の意志は耐えず揺らぎ変転してゆく。敵だったものが味方となり、味方だったものが敵となり、人を愛することすらできなくなったロザッハーの汚れた魂の遍歴が描かれてゆく。

〈竜のグリオール〉が中心に存在する世界を描くものであっても、この作品では〈竜のグリオール〉はあくまで背景でありその世界の基調となる色彩を提示するものに止まっている。グリオールが何か語り掛けてくるわけではなく、その意志を誇示するでもない。なんとなればこのシリーズの多くの登場人物たちがそうであるように、グリオールという名の歪んだ強迫観念に精神が侵されているのだとも言えるのだ。

そして人は、それがグリオールなどという架空の竜の存在などなくとも、時として歪んだ強迫観念と理由の定かではない情念により突き動かされ、人を滅ぼし自らも滅ぼそうと振舞ってしまうものではないのか。即ち〈竜のグリオール〉シリーズとは、人間の持つ得体の知れない情念を仮称したものであり、その名状し難き運命を描いた作品だという事ができるのだ。

これまで6篇の中短篇作として読んできた〈竜のグリオール〉シリーズだが、この長編作『美しき血』では一人の人間の運命とその行く末とを、長編ならではの深く掘り下げた描写で描き切っており、これまでとはまた違う芳醇な余韻を残す読後感だった。シリーズ掉尾を飾る素晴らしい名編であると同時に、ルーシャス・シェパードの作家生活の総集編として高い完成度を誇るものだと感じた。

もしこのシリーズを手に取ってみたい方は、読む順番としてまず短編集『竜のグリオールに絵を描いた男』の邪悪な世界にたっぷり浸った後にこの『美しき血』を読んでいただくといいかもしれない。中短編集『タポリンの鱗』は少々変化球気味の作品集となるので、最後に読んでもいいだろう。もちろん『美しき血』からルーシャス・シェパードの高い文学性をいきなり体験するのもありだろう。

参考:〈竜のグリオール〉シリーズとその感想