妄執と強迫観念に彩られたダークファンタジーの傑作/竜のグリオールに絵を描いた男

■竜のグリオールに絵を描いた男/ルーシャス・シェパード

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

全長1マイルにもおよぶ、巨大な竜グリオール。数千年前に魔法使いとの戦いに敗れた彼はもはや動けず、体は草木と土におおわれ川が流れ、その上には村ができている。しかし、周囲に住むひとびとは彼の強大な思念に操られ、決して逃れることはできない――。奇想天外な方法で竜を殺そうとする男の生涯を描いた表題作、グリオールの体内に囚われた女が見る異形の世界「鱗狩人の美しき娘」、巨竜が産み落とした宝石を巡る法廷ミステリ「始祖の石」、初邦訳の竜の女と粗野な男の異類婚姻譚「噓つきの館」。ローカス賞を受賞したほか、数々の賞にノミネートされた、異なる魅力を持つ4篇を収録。動かぬ巨竜を“舞台"にした傑作ファンタジーシリーズ、日本初の短篇集。

全長1600メートルはあろうかという巨竜、その名もグリオール。かの竜は数千年前にある魔法使いとの戦いに敗れ仮死状態にあった。原野に横たわるかの竜の周囲には、巡る歳月の内に草木が生い茂り、動物たちの住処となりさらに村までが出来ていた。しかし決して動かぬグリオールではあったが、その昏く邪悪な思念は瘴気のように近隣に住む人々の心を侵していたのだ――。

ルーシャス・シェパード著によるダーク・ファンタジー中編集『竜のグリオールに絵を描いた男』である。「竜の登場するファンタジー?『指輪物語』みたいな剣と魔法の冒険譚なのか?」と思われるかもしれないがそれは当たっていない。むしろこの作品は、グリオールを背景としながらその妖しい存在に身も心も狂わされてゆく者たちの姿を描いてゆく幻想譚であり怪異譚なのだ。

この作品集には「竜のグリオール」シリーズ全7編の内4編の中短編、さらに作者による覚え書きが収められている。まずこの4編をざっくり紹介してみる。

表題作『竜のグリオールに絵を描いた男』は仮死状態のグリオールに毒素の混じった絵の具で絵を描くことによりグリオールを殺そうとした男の物語。絵を描くプロジェクトは膨大かつ長大なものとなり、男はあたかも取り憑かれたようにプロジェクトに全人生を捧げてしまう。

「鱗狩人の美しき娘」は暴漢に追われグリオールの体内に迷い込んでしまったある女がそこに閉じ込められ、グリオールの体内に巣食う異形の者たちと10年の歳月を過ごすことになってしまう怪異譚。怪物の体内に幽閉されそこで生きる物語はどこか神話的ですらある。

『始祖の石』はグリオールを崇める教団とそこで起こった殺人事件の犯人を弁護することになった男を描く法廷ミステリ。登場する者誰もがグリオールの存在により人生を狂わされたどこか心の歪んだ者たちばかりであり、その展開の異様さには心胆寒からしめるものがある。

『うそつきの館』は野獣のように粗野な男が巡り合ったドラゴンの化身の女との異類婚姻譚。なにもかもが破壊と破滅へと転がってゆく恐るべき展開は既にファンタジーの枠を超え、世に数多伝わる異類婚姻譚の中でも類を見ない異常な結末を迎える。

物語の背景であり真の主人公たる竜、グリオールは恐竜や猛獣の様なただ生身の体を持った「生物」ではない。生物が肉体に魂を宿しているのと違いグリオールは魂の中に肉体を内在させた霊的な存在として描かれる。即ち異次元の生物であり、むしろ肉体を使役する思念体と言ったほうが近い。それにより肉体が仮死であろうと死んでいようとその思念は近隣に住むあらゆる人間たちの思考と行動に影響を与え、人々はグリオールの理解不可能な計画のためにその人生を狂わされてゆく。

しかし、物語の中でグリオールの思念の在り方は直接的に描かれることは無く、それぞれの物語において破滅してゆく主人公たちが、その理由の中にグリオールの存在を「感じた」そして「利用された」と思い込むだけでしかない。なんとなればそれは個々の登場人物たちの幻影、錯覚、妄想に過ぎないのかもしれないのだ。ここからひとつのアレゴリーが導き出される。即ち、竜のグリオールの物語とは、人が時として心の中に抱える、妄執と強迫観念についての物語であり、そこでグリオールとは、妄執と強迫観念を言い換えた名前なのであると。そして妄執と強迫観念の先にあるものとは、狂気である。

さらにグリオールの物語とは、「抗うことの出来ない呪われた運命の物語」であると言う事もできる。それが祝福であろうと呪いであろうと、運命とは人の力でどうにもすることのできない偶然と蓋然の集積である。そしてその運命を司る者が、この物語シリーズにおいてはグリオールということになるが、そのグリオールとはこの世界の理の外にある超自然の存在という事になっている。人々の運命を司り、そして超自然の存在である者、そういった存在には実はよく知られた名前が付けられている。それは【神】である。そう、竜のグリオールの物語とは、もうひとつの、冷徹で邪悪な神が運命を支配する世界の物語でもあったのだ。

これら重厚かつ熾烈極まりない物語をさらに奥深くしているのが作者ルーシャス・シェパードの極めて文学性の高い文章にある。妄執に取り憑かれ破滅してゆく人々を描く物語のその文章は、それ自体が妄執に取り憑かれたかのようなうねるような熱情に満ち、昏く眩く表情を変えてゆく細やかな表現力を兼ね備えているのだ。これまでこの作家の名前を全く知らなかったことにしみじみと不覚を覚えたほどだ。

そして最後の作者による『作品に関する覚え書き』である。表題通り作品の着想と背景を単に説明するだけのものだと思って読み進めてゆくとその恐るべき内容に唖然とすること必至である。ここで書かれているのは確かに個々の作品を書いた時の作者の当時の様子であるが、これが荒廃と冷笑と虚無に満ち溢れた凄まじいギャングスタ・ファンタジイとして成立しているのだ。巻末の解説において「実はルーシャス・シェパードという人は自分の人生をフィクショナルに語る”盛っちゃう”タイプの人」と書かれていなければ信用していたことだろう。しかしこの『覚え書き』ですらやはり昏い熱情に満ちた文学性を感じさせるものであった。既に故人となってしまったようだが、驚嘆の作家ルーシャス・シェパードの「竜のグリオール」シリーズはあと3篇が残されている。追って単行本化を切に切に希望する次第である。 もうこれ「今年度ナンバーワン・ファンタジー作」ってことでいいんじゃないかな。

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

 
竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)

竜のグリオールに絵を描いた男 (竹書房文庫)