タルコフスキー監督作『鏡』とポンテコルヴォ監督作『アルジェの戦い』を観た

鏡 (監督:アンドレイ・タルコフスキー 1975年ソビエト連邦映画)

『鏡』はアンドレイ・タルコフスキーが1975年に発表した作品だ。フィルモグラフィ的には『惑星ソラリス』(72)の後、『ストーカー』(79)の前という時期の作品となる。タルコフスキーの自伝色の濃い内容であり、幼い日のタルコフスキーの母と、成人した後のタルコフスキーの妻と思しき人物を中心に(同じ女優が演じている)、そこにタルコフスキー自身の「記憶」を織り交ぜ、過去と現在をフラッシュバックさせた構成で映画が進行する。

一貫したストーリーは存在せず、モノクロとカラーが混在し、時系列は切り刻まれ、ドキュメンタリー映像のモンタージュと幻想シーンが挿入され、詩的で哲学的な台詞が用いられ、そういった部分で若干難解に感じる部分も多い。とはいえタルコフスキーならではの映像美、ロシアの自然の風景や絵画のような画面レイアウト、いつも雨に濡れそぼった情景描写など、美しい映像を徹底的に堪能できる、まさにタルコフスキーらしい作品という事ができる。脈略なく続くその映像は、あたかも夢を見ているようであり、同時に魔術的ですらある。

また、極めて私的な自伝的内容といった部分から、タルコフスキー作品の中でも最も肩肘張らずに観ることの出来る作品だといえるかもしれない。それはタルコフスキーの幼い日の思い出であると同時に、遠い過去のロシアの情景を焼き付けたものとして深い郷愁を呼び覚ますだろう。ここで描かれる「記憶」は、一貫したストーリーを持たないからこそ観る者の「記憶」をも呼び覚まし、観るもの自身の郷愁の感情と結びつくのだ。オレなども、この映画を観ながら子供の頃の記憶が蘇り、意識が過去を彷徨ったまま映画を観ていたことを忘れてしまう瞬間が何度かあった。

 

アルジェの戦い (監督:ジッロ・ポンテコルヴォ 1966年イタリア・アルジェリア映画)

『アルジェの戦い』1954年から1962年にかけて当時のフランス領アルジェリアで勃発した、フランスの植民地支配に対する独立戦争を描いた作品である。面白いのはこの作品が1962年のアルジェリア独立からたった4年後の1966年に、アルジェリアがイタリア人監督を招いて製作した映画という事だ。それにより独立成功の興奮と歓喜に満ち、なおかつ非常に生々しく迫真的な作品として完成しているのだ。

モノクロの荒い粒子の映像はドキュメンタリー映画の様相を呈し、登場するのは実際の独立運動実行グループも含む現地人素人俳優とエキストラ、当然舞台となるのもつい数年前まで戦闘が行われていたアルジェリアの街である、といった部分に恐るべきリアリティが生み出されている。また、この作品の真の凄みは、「テロは是か非か」という今日も交わされる議論に、一つの回答を提示しているという部分だろう。独立闘争の闘志たちの行為は無差別殺戮も含む暴力的なものであり、それに対しフランスから投入された軍隊も拷問を含む徹底した冷徹な方法で応戦する。

ここで「是か非か」などという議論は単純すぎる。行動を起こさなければ蹂躙され続けるだけの未来しかないアルジェリア市民にとって、テロとはそれがどんな方法であろうと「是」でしかないのだ。結果的にアルジェリアはテロによって自由を勝ち得るが、それはアルジェリアにとってテロではなく民族解放の為の戦いだった。映画『アルジェの戦い』はテロと民族紛争という今日的な問題に今なお問題提起しうる作品だ。こういった部分からこの映画は欧米の軍隊においてテロを知るための教本的な役割をも担っているのだという。