愛とテロリズム〜映画『Dil Se.. (ディル・セ 心から)』

■Dil Se.. (ディル・セ 心から) (監督:マニ・ラトナム 1998年インド映画)


この『Dil Se..』、ポスターの雰囲気や『ディル・セ 心から』という日本タイトルからごく一般的なラブ・ストーリーを想像していたがそうではなかった。ラブ・ストーリーに間違いはないのだが、主人公であるラジオ局ディレクターが恋をした謎めいた女が実はテロリストの一員であり、そしてそのテロが間近に迫っていた…という相当にシリアスな作品だったのだ。主演はシャー・ルク・カーン、マニーシャー・コイララ。なおこの作品は2000年に日本公開されているようだが、日本語版ソフトはVHSのみの発売で視聴不能&入手困難であるためヒンディー語英語字幕での視聴となった。

ラジオ局ディレクターのアマル(シャー・ルク・カーン)は取材からの帰路で知り合った謎めいた女メグナ(マニーシャー・コイララ)に惹かれてしまう。その後偶然により再び出会う二人だったが、愛を打ち明けるアマルにときめきを感じつつも、メグナはあくまで彼を拒み続けた。心折れたアマルは地元で親の決めた女性との結婚を決める。だがそこにメグナが現れ、ラジオ局で雇ってもらえないかと尋ねる。そしてメグナへの愛が捨てきれていなかったアマルは彼女を再び受け入れてしまうのだった。しかしメグナが彼に近づいたのには訳があった。メグナはカシミール地方の分離独立を訴えるテロリストの一員であり、近く開催される独立50周年記念式典での爆弾テロを狙っていたのだ。

物語の重要な舞台となるインド、ジャム・カシミール州は、隣接するパキスタン支配地域と合わせてカシミール地方と呼ばれる。ここではインド・パキスタンがイギリスから分離独立した際に両国が領有権を主張し、軍隊同士が睨み合う一触即発の状況が続いている。印パ戦争の2度の舞台となり、さらに中国まで巻き込んだ度重なる紛争を巻き起こす「核武装国間の火薬庫」とまで呼ばれる土地なのだ。それだけではなく、紛争による荒廃から経済が悪化し、それに不満を覚える住民たちによりインド、パキスタンの双方からの独立を目指す武力闘争も起こっている。

こうして物語は、触れ合えそうで触れ合えない二人の男女のロマンスを描きながらも、その中心となるテーマはどこまでも重く暗いものを孕んでいる。映画では冒頭から紛争地帯を警備する武装した兵士がそこここに現れ、物々しい軍事パレードの映像が挿入され、テロリストの影が怪しく蠢き、主人公アマルは突然の暴力に遭遇することもある。そしてヒロインであるメグナがテロリストとして生きることになったそもそもの原因である、幼い頃彼女の村を襲った大量虐殺とレイプ事件の映像で物語の陰惨さと悲痛さはピークに達する。調べるとこの虐殺事件の元となる事件は実際にあったものなのらしい。

「クナン・ポシュポラ村集団強姦事件」
事件が起きたのは、91年2月23日、夜のことだった。北カシミールのクプワラ郡クナン・ポシュポラ村をインド軍第4ラージプート・ライフル銃隊が包囲、分離独立派ゲリラ捜索作戦を始めた。しかし部隊は男たちを家の外に出し一箇所に集めると、女性たちに襲いかかった。13歳から70歳の村の女性70人以上が強姦されたといわれる。
<インド>カシミールでの集団強姦事件の審理が再開か / アジアプレス・ネットワーク

しかし、こういったポリティカル・サスペンスとしての側面を持ちながら、それでもやはりこの作品は「愛についての物語」なのだと思う。乞い求めていた女性がテロリストであると知ってもそれでもなおアマルが諦めようとしないのは、それは愛ゆえであるし、悲痛な過去を持ち怒りと憎しみからテロへと走りながら、それでもなおアマルの呼びかけに心動いてしまうメグナも、それも愛ゆえなのだ。愛が世界を救うなどという夢物語は唱えないけれども、しかし政治や世界情勢といった巨大で冷徹なシステムに魂無き"モノ"として蹂躙され押し潰されてしまった者が、自らもまた一個の復讐機械という魂無き"モノ"として生きそして死にざるを得ない悲しみを、乗り越えさせ癒すことのできるもの、それが愛なのだ。

血腥くきな臭い暗澹たる荒野の如き世界の中心で、それでもアマルとメグナのひと時の愛の情景はあたかも夢幻のように優しく美しく描かれる。特に愛の高揚を歌と踊りに託した冒頭のダンス・シーン「Chaiyya Chaiyya」の素晴らしさはインド映画ダンス・シーンのなかでも屈指の完成度ではないか。この映画でSRKの演技は演出のせいもあってか若干オーバーアクトに感じられるが、常に翻弄され苦痛のうめき声を上げ続けるSRKというのもどこかマゾヒスティックで悪くない。対するヒロイン演じるマニーシャー・コイララはその薄幸めいたルックスも相まって悲しき女テロリストの姿を圧倒的に演じている。テロの恐怖はこの映画が製作された1998年インドですら身近なものだったのだろうが、この今、その恐怖は日本を含め全世界を覆うものとなってしまっている。だからこそ、映画『Dil Se..』は未だ今日的な作品として色褪せない作品だということができるだろう。
ドイツ語版予告。

「Chaiyya Chaiyya」のシーン。本当に素晴らしい。カメラワークもアングルもこれ以外にない、というほどに研ぎ澄まされた完璧さを見せている。