【エモ映画】としての『シン・仮面ライダー』(多分ネタバレなし)

シン・仮面ライダー (監督:庵野秀明 2023年日本映画)

仮面ライダー』とオレ

1971年から1973年まで放送された特撮ヒーロードラマ『仮面ライダー』といえばかつて一世を風靡し社会現象にまでなったTV番組であり、その後もシリーズ化され現在に至るまで圧倒的な人気を誇るフランチャイズである。

かく言うオレも『仮面ライダー』には大いにハマったオコチャマだった。1962年生まれのオレはまさに初代ライダーど真ん中の世代だったのだ。例の「仮面ライダースナック」を狂ったように買い求め、ライダーカードを集めまくっていた。なんと自作の『仮面ライダー』漫画を描いていたりもした。小学生だったにもかかわらず「ライダー少年隊」のペンダントを肌身離さず身に着けていた。オレは北海道生まれだったが、クラスで雪像を作ることになった時、オレが旗を振って仮面ライダー雪像を作った。まさに熱狂的な『仮面ライダー』ファンだった。

そんなオレだが、なんと実はTVできちんと『仮面ライダー』を観たことが無かった。何故かと言うと、当時オレが住んでいた北海道のド田舎では、『仮面ライダー』が放送されていなかったからである。あの頃オレの田舎では民放が2局、NHKが教育放送含め2局という、たった4局しかチャンネルが存在しておらず、そして地方局である民放は自前の番組と併せ内地の番組を買い上げる形での放送をしていたのだが、その中に『仮面ライダー』は存在していなかったのだ。

(話は逸れるがなにしろそういう事情だったので、これも一時期話題になった深夜番組『オールナイトフジ』が真昼間に放送されていたりもした)

世間であれだけ話題になっていたにも関わらず観ることの出来ない『仮面ライダー』に、当時のオレも同じくライダーファンだった級友たちも常にモヤモヤを抱えていた。そんなオレたちのただ一つ接することの出来る『仮面ライダー』は、「東映まんがまつり」における映画『劇場版仮面ライダー』と、テレビマガジンという雑誌に連載していた、すがやみつる描くところの『仮面ライダー』のみであった。原作者である石森章太郎描くところの『仮面ライダー』もコミック化されていたが、大人っぽすぎる・暗い、という部分であまりに好まれていなかった。

オレの仮面ライダー熱は『仮面ライダーV3』が絶頂期であった。しかし続く『仮面ライダーX』から段々「コレジャナイ感」が増してきて、『仮面ライダーアマゾン』は「ナンジャコリャ」という感じだった。オレの田舎で仮面ライダーシリーズがやっと放送されたのは『仮面ライダーストロンガー』からだったが、しかしそれはオレの仮面ライダー熱がすっかり冷めていた頃だった。

庵野秀明監督作『シン・仮面ライダー

というわけで『シン・仮面ライダー』である。オレとほぼ同じ世代である庵野秀明(1960年生まれ・オレと2個違い)が、自らのほとばしるまでの「仮面ライダー愛」を映画化した作品である。「シン・〇〇」と付くタイトルは『シン・ゴジラ』、『シン・エヴァンゲリオン劇場版』、『シン・ウルトラマン』とあるけれども、庵野はどれも脚本・総監督としての参加であり、この『シン・仮面ライダー』でようやく「監督」としての参加ということになる(脚本も担当)。

するとこれがどういう作品になってしまうのかというと、『シンゴジ』『シンエヴァ』『シンマン』と比べるよりも、むしろ庵野の実写監督映画『ラブ&ポップ』『式日』『キューティーハニー』に近いテイストになるのではないか、と最初に予想していた。オレは庵野実写監督作は『ラブ&ポップ』しか観ていないのだが、悪い作品ではないにしても「アニメ監督の余技」以上のものではなかったと思う(『キューティーハニー』に至っては最初でキツくなって観るのを止めた)。要するに「エンターティンメント作品としては地味か少々マニアックすぎる作品になりそう」と思ったのだ。

『シン・仮面ライダー』の予告編を観たときも実写慣れしていない方の撮る映像だな、と思った。風景を入れた人物全体像の遠景ばかり目立つのだ。風景に何かを語らせたいのだろうが、まるで記念写真みたいで、映画映像としてのダイナミズムに欠けるのだ。そういった具合にエンターティンメント作としてあまり期待するものがなかったのだが、しかし「庵野作品」という期待は大いにあった。監督作ではなかったが、『シンゴジ』『シンエヴァ』『シンマン』のどれにしても、話題作を送り続ける「庵野の頭の中」が覗ける作品だったではないか。

庵野の頭の中

こうして実際に劇場で観た『シン・仮面ライダー』は、ひたすら庵野らしい・実に庵野らしい・兎に角庵野らしい・間違いなく庵野らしい映画だった。物語を綴り映像として表出させる上で否応なく滲み出てしまう庵野の性癖、手癖、拘り、趣向、そういったものが余すところなく開陳された、まさに「庵野の頭の中」の覗ける有意義な作品だった。映画として・物語としての醍醐味そのものよりも、庵野という人間の作家性を満遍なく体験でき楽しめる映画だと感じた。総じて、『シン・仮面ライダー』は「いい映画だった」と思った。

それはまずオリジナル『仮面ライダー』への、そのミクロと言ってもいいぐらいの細部への、強烈な拘り方だろう。そしてそのオリジナルを踏襲しつつ、庵野ならではの心憎いアレンジが加えられた「新しさ」だろう。しかもこの「新しさ」はライダーシリーズその後の変遷とは全く別個の、オリジナルそのものへの新解釈なのだ。これらはライダーと怪人の造形や衣装やガジェット、使われるBGMとSE、テクノロジーや世界観の設定などに顕著に表れる。ここには「古い仮面ライダー」と「新しい仮面ライダー」が同居している。古きに懐かしさを覚えさせながら、新しきに興奮させられる。これは『シンマン』でも如実に表れていたが、いわゆる「オタク度」ではこの『シン・仮面ライダー』のほうがより濃厚であり個人性が強い。

高純度のエモさ

そしてやはりこれも庵野作品ならではの「高純度のエモさ」が満開となっている事だろう。予告編で感じた「風景ばかり目立つ遠景の描写」は、それは庵野自身の、風景の美しさに借りたエモーションの発露なのだ。庵野が風景に語らせたかったのは「エモ」だったのだ。さらにひたすら内省的な主人公や、強烈なツンデレ振りを見せるヒロインのキャラ設定などは、これはそのままエヴァの登場人物である。こうした主人公のナイーブさは、物語構成の根幹にかかわり、それ自体がこの作品のテーマにすらなっている。この「エモさ」はTV作品というよりも石ノ森原作コミックからの展開ではないか。そしてこの「エモさ」に着目し、作品テーマとした事こそ庵野らしさであり、「庵野秀明監督作品」である必然性なのではないのか。

映画的に観るなら、シナリオにしてもドラマにしても「昭和の臭い」が拭い切れないが、これもオリジナルの「(昭和に作られた)SF怪奇アクション」の空気感をなぞったものだと言えないか。登場人物に生命感が乏しいのも庵野作品らしい。結局良くも悪くも「庵野映画」であり、好き嫌いは分かれるだろうけれども、ハマれるなら思いっきりハマれる要素に満ちている。なんにしてもオリジナルの仮面ライダーのテーマが流れる中ライダーがショッカー軍団を粉砕しまくるシーンでオレはうっとりとなってしまったし最高に興奮したよ!こういうのもちゃんとやってる所がいいんだよ!オレは好きだよ、この映画。