光の国からぼくらのために。/映画『シン・ウルトラマン』

シン・ウルトラマン (監督:樋口真嗣 2022年日本映画)

オレは1962年生まれで今年60歳になりますが、1966年にTV公開された『ウルトラマン』はリアルタイムで観ているんですね。計算するとオレが4歳の時ということになるでしょうか。初めて観た時のシチュエーションも覚えているんですよ。それは家族で知り合いの家に遊びに行ってご飯をお呼ばれしていた時、訪問先のお母さんが「TVであんたの好きそうなのがやっているよ」とチャンネルを回してくれたんです。それが『ウルトラマン』第1回、ベムラーの出てくる「ウルトラ作戦第1号」だったのですよ。

「TVであんたの好きそうなの」と言われたのは、当時からTVでは特撮ドラマをやっていて、よく観ていたからなんですね。実は『ウルトラマン』の前身となる『ウルトラQ』も、やはりリアルタイムでTVで観ていました。でも『ウルトラQ』は大好きでしたが、子供にはちょっと難しすぎたかな。どちらにしろオレはウルトラマンにすっかり魅せられ、番組に出てくる怪獣たちの虜になってしまい、4歳の幼稚園児でしたが漢字で「怪獣」と書けるようになったほどですね。それほど好きだったんですよ。

その『ウルトラマン』を『シン・ゴジラ』の庵野秀明樋口真嗣が再びタッグを組んで製作したのこの『シン・ウルトラマン』です。庵野氏は企画・製作・脚本を、樋口氏が監督を担当しています。今回はなるべくネタバレなく書くつもりですが、雰囲気で分かってしまう部分もあるので一切情報を入れたくない方は読まないほうがよろしいかもと思われます。

【物語】「禍威獣(カイジュウ)」と呼ばれる謎の巨大生物が次々と現れ、その存在が日常になった日本。通常兵器が通じない禍威獣に対応するため、政府はスペシャリストを集めて「禍威獣特設対策室専従班」=通称「禍特対(カトクタイ)」を設立。班長の田村君男、作戦立案担当官の神永新二ら禍特対のメンバーが日々任務にあたっていた。そんなある時、大気圏外から銀色の巨人が突如出現。巨人対策のため禍特対には新たに分析官の浅見弘子が配属され、神永とバディを組むことになる。

シン・ウルトラマン : 作品情報 - 映画.com

ええ、もう、最初の感想は「大変素晴らしいものを見せていただきました、ありがとうございました」ですね。それもこれも、庵野氏、樋口氏の「特撮愛」「ウルトラマン愛」がほとばしっており、そしてその「愛」を、自己満足ではなくいかに新しい作品として昇華し、なおかつ優れた内容として完成させるか、という切磋琢磨がきちんと成されている作品だったからですね。もちろん、オリジナルを知る者だけが理解できるマニアックなくすぐりや描写はあるにせよ、それを知らなくとも作品自体はきちんと理解できる作りになっています。それはオリジナル『ウルトラマン』の持つ「空想特撮」というテーマを、決しておろそかしにしていないということでもあります。

物語は冒頭から驚かされっぱなしです。最初っからアレやアレを出しちゃうなんて反則です。しかしだからこそ楽しかったんです。ウルトラマンの持つ神秘性、併せて非人間性もとても上手く表現されています。禍威獣(カイジュウ)たちはどれもまさに「異形」の貫録を持ち、それは怪しく、そして理解不能の怖さを持っています。ウルトラマンにしても禍威獣にしても潜在的な破壊力は恐るべきもので、それは既にして人智を遥かに超えた所に存在する者たちであることが伝わってきます。

一方、人間描写や組織描写に関しては紋切型であり、リアリティが希薄で興味は持てません。人間ドラマの演出は雑でぎこちなく、どの人間キャラも魅力がありません。というか最初から人間に興味が無いことをあからさまにした演出でしたね。これは予告編を観た段階から明らかだったので殆ど期待しておらず、あまり失望もしませんでした。もともと脚本の庵野氏自体が人間に興味がないのでしょう。興味があるのは禍威獣とウルトラマンだけなんですよ。これはそういったイビツさを内包した映画ですが、庵野氏の関わる映画はそれを補って余りある「輝き」を持ったものとして観るべきだと思います。

禍威獣とそのエピソードの分量は、盛り込み過ぎ、同時にダイジェスト版的な駆け足しをし過ぎ、という批評もありますが、自分にはよくぞここまで盛り込んでくれた、という驚きと同時に感謝すら湧きました。クライマックスにアレが登場した時には、まさかここまで至れり尽くせりだとは、としみじみと感心してしまったぐらいです。つまりどういうことかというと、この『シン・ウルトラマン』は上映時間113分の中にオリジナル『ウルトラマン』の全てを詰め込んでしまったんです。むしろそれ自体が、庵野氏、樋口氏の快挙であり、同時に彼らの「ウルトラマン愛」と思えたほどです。二人は、この1作でウルトラマンの全てを描きつくしたい!と思ったのに違いありません。2部作でも3部作でもシリーズでもなく、たった1本でです。だからこそこれだけ濃密なんです。そしてそれは、十分成功していたのではないでしょうか。