さよなら、全てのエヴァンゲリオン。/映画『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』【多分ネタバレなし】

シン・エヴァンゲリオン劇場版:|| (総監督:庵野秀明 監督:鶴巻和哉中山勝一前田真宏 2021年日本映画)

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エヴァンゲリオン最終編

ヱヴァンゲリヲン新劇場版」シリーズ第4部完結編、『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』を観た。観終わった。ポスターや予告編で使われた「さよなら(さらば)、全てのエヴァンゲリオン」の惹句の通り、【エヴァンゲリオンについての全ての事柄】に終局を告げる、見事な完結編だった。不完全な作品に思えるTV版や旧劇場版、そして新たに始動したこの新劇場版の、あらゆるエヴァにきっちりと引導を渡し、有終の美を飾る作品として完成していた。TV版から25年、高齢エヴァンゲリオン・ファンとして歩んできたオレは感無量である。

この『シン・エヴァ』にこれ以上何が言えるだろう?物語や展開などに触れるつもりもないし、解題できるほど深くエヴァを洞察してきたわけでもない。しかしただ一つ思ったのは、そもそもエヴァは、こうして終わるべき物語としてあらかじめ予定されていたものではなかったのか、という事だ。

エヴァンゲリオン」の物語はサディスティックなほどに苛烈で陰鬱な状況の中で進行し、主人公シンジは凄惨で残虐な現実に完膚なきまでに叩きのめされ、終始ぼろ雑巾のようにくずおれる。その絶望の深さは安逸な幸福的結末を許しはせず、だからこそTV版はとってつけたような結末を、旧劇は曖昧で煮え切らない結末を迎えざるをえなかった。この新劇にしても、やはり絶望的状況のみが倍加してゆくばかりだった。

TV版を、旧劇を、そして新劇を通し、あまりにも残酷な煩悶と辛苦を経てきた主人公シンジ。思えば、『Q』における困惑しかなかった説明の無さと、まっさらな状況から始まった新展開は、シンジと、そして多くのエヴァ・ファンへの、「全てのエヴァンゲリオン」における最終試練として用意されたものだったのだろう。少なくとも『Q』は、TV版から継承したお気楽なコメディ要素を全て灰塵へと化す冷徹なるドラマを展開していた。

『シン・エヴァ』は希望の匂い

だが完結編となったこの『シン・エヴァ』には、希望の匂いがする。正しく明るく生きようとする未来の匂いがする。そこには総監督である庵野秀明の年齢的変遷や精神的成長もあるのだろう。そしてこの『シン・エヴァ』の最期こそが、トラウマまみれの「全てのエヴァンゲリオン」の【開放】であり、庵野自身にとってのエヴァからの【解放】だったのだろう。全てを昇華し止揚する最も幸福な幕引きの在り方を提示すること、それがこの作品の存在理由だったに違いないのだ。

崩壊する精神と崩壊する世界を体験した主人公シンジが、崩壊した精神と崩壊した世界の果てに見出した一縷の光明の如き希望、それは、自身と世界がこうあって欲しいという強烈な願いと、それを可能とするためにもがき苦しみ続けた末に得たものの筈なのだ。それは奇しくも、かつて『破』において父ゲンドウがシンジに言った「自分の願望はあらゆる犠牲を払い自分の力で実現させるものだ」という言葉そのものの行為でもあったではないか。

シリーズ終焉である『シン・エヴァ』において、シンジはようやく希望への道標を見出す。かつて憎んでいた父の「あらゆる犠牲を払い自分の力で実現させる」という言葉を実践したかのように。ここで遂にシンジは父との対立を超克し、「全てのエヴァ」のドラマを終わらすことになる。それは成長する、というただそれだけの事に他ならないのだ。「エヴァンゲリオン」というあまりに永き道のりの、終着地点にある健やかな成長を祝福し、その希望を共有すること。『シン・エヴァンゲリオン劇場版:||』は、そんな物語だったのではないかと思うのだ。ありがとうエヴァンゲリオン、そしてさようなら、全てのエヴァンゲリオン

One Last Kiss (通常盤) (特典なし)

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