ラ・ロシュフコー箴言集 / 二宮フサ(訳)
「われわれの美徳は、ほとんどの場合、偽装した悪徳に過ぎない」―よく知られたこの一句が示すように、ラ・ロシュフコー(1613‐80)の箴言は、愛・友情・勇気など美名の下にひそむ打算・自己愛という業を重い律動感のある1,2行の断言であばき、読者を挑発する。人間の真実を追求するフランス・モラリスト文学の最高峰。
「箴言」とは「教訓の意を持つ短い句、戒めとなる言葉」の意であり、思いっきり卑俗に言うなら「名言」であり「名言集」だと捉えてもいいだろう。ちなみに「箴言」は「せんげん」と読むが、オレはこの『ラ・ロシュフコー箴言集』を読み終わる間際までずっと「ちくげん」と読むと思っていた。「蘊蓄」の「蓄」と勘違いしていたのであろう。オレの教養というのはその程度のレベルである。
さてこの『ラ・ロシュフコー箴言集』はフランスの貴族、モラリスト文学者であるラ・ロシュフコー公爵フランソワ6世(1613-1680)が書いた「名言集」である。真摯かつ鋭利な人間観察から導き出された「人間本質の実相」を抉り出すものであり、雑駁な印象で受け止められていたものに核心を見出す試みであり、当為と見なされている物事に別の角度から光を当てることにより真なる形質を探ろうとする行為である。
「箴言」であるがゆえに殆どは1、2行の文章で成立しており、「山椒は小粒でもぴりりと辛い」名句・警句が目白押しだ。確かに読んでいて「ほうほう」「なるほど」「確かに」と頷かされること必至である。ただしラ・ロシュフコーの箴言はどこか辛辣でありちょっとした皮肉や毒が籠っているように思う。例えば:
「31:もしわれわれに全くの欠点がなければ、他人のあらさがしをこれほど楽しむはずがあるまい」「64:真実は、見せかけの真実が流す害に見合うだけの益を、世の中にもたらさない」「361:嫉妬は必ず愛とともに生まれるが、必ずしも愛と共に死なない」「375:凡人は、概して、自分の能力を超えることすべてを断罪する」……etc。これらどうにも毒と皮肉の混じった箴言の幾つかは、アンブローズ・ビアスの『悪魔の辞典』をフランス風に遠回しに柔らかく書いたが如き印象を若干受けもした。
また、ページを適当に開いてそこに書かれた箴言を堪能するのと、本を最初から通読する形で読み進んでゆくのとでは、箴言への印象が異なるのを感じた。一句一句抜き出すならば、「それなりにもっともらしいことが書かれているな」程度には思う。しかし通読して感じるのは、当然だがこれが17世紀フランス貴族によって書かれたものであるということだ。愛や理性、「紳士の気質」といった記述からは、やはり当時のフランス貴族社会が透けて見えるのだ。
それはサロンに代表される知的な有閑階級の、ある種の矜恃なのだろう。そういった部分でここに書かれた「箴言」は、良い意味でも悪い意味でも貴族的なもののように感じた。とはいえ、貴族社会で生きることの心情と意識とを垣間見ることができるといった点では、ひとつの文学として成立しているのかもしれない。なお「箴言集」の他に後半部には長文の「考察」が掲載されているが、こちらはバリバリに貴族意識でもって書かれていて、ちょっとついていくのがキツかった。