廃疾と汚濁の島サハリンを道行く異形のSF長編『サハリン島』

サハリン島エドゥアルド・ヴェルキン (著), 北川和美 (翻訳), 毛利公美 (翻訳)

サハリン島 

キム・ウン・ユンが発射した弾道ミサイルをきっかけに、核戦争が勃発。二か月に渡る熱戦のすえ、欧州の主要工業国は壊滅する。ユーラシア大陸では人間をゾンビ化する伝染病MOB(移動性恐水病)が流行し、ロシア東岸は化学兵器で浄化される。一方、日本は鎖国体制を敷き、大日本帝国を復活。その保護下にあるサハリン島に、帝国大学応用未来学研究者シレーニが調査に赴く。徹底して差別される中国人とコリアン、「ニグロ」と呼ばれる檻の中の生贄たち、謎の天才詩人シンカイロウ、人間の死体を燃料とする発電所放射能で汚染された木々や魚類……。魑魅魍魎渦巻く茶色い大地で、シレーニと案内役の銛族アルチョームはいかなる未来を掴みとるのか。破格の想像力に満ちたロシア発の「日本小説」!

 「この10年で最高のロシアSF」という惹句がなかなかヤル気満々なSF長編『サハリン島』である。去年の暮れにその噂を聞き年末の発刊を楽しみにしていた。そして実際手にしてみると400ページにのぼるハードカバーの煉瓦本、こりゃあ読みでがあるわいとチマチマ読みつつやっと読了、なるほど、最高かどうかは別としても実に濃密な読書体験だった。 

サハリン島』はいわゆる「ポスト・アポカリプスSF」ということになる。核戦争やら伝染病やらで壊滅に瀕した世界、その中で生き残った日本は大日本帝国を復活させサハリン島を接収、ある日そこに1人の女性が調査に赴くことになる。そこで彼女が見ることになるのは、放射能に汚染された大地に虫けら同然となって生きる人々の地獄絵図であった。

 なにしろこの『サハリン島』はその異様な設定が全ての物語だと言っていい。核戦争により壊滅した世界、サハリンという名の監獄だらけの収容所島、廃物と残骸と汚物に塗れ常に腐敗臭の漂う町々、そこには知能も知性も無い住人たちが雲霞の如く湧き獣のように生き、飢餓にあえぎ疾病に侵され不具の身体を引き摺り、そして倫理も人間性も喪失したままバタバタと死を迎える。そこには希望も無く生の意味すら無い。まさに地獄の光景である。

こうして読者は主人公に随行するもう一人の旅人となって廃疾と汚濁の大地と化したサハリンを経巡り、現れてはまた消えてゆくそのおぞましい光景を目撃し、そして体験することになる。物語はこれら廃疾と汚濁の光景を手を替え品を替え映し出しながら「サハリン島」という絶望の島の全容を解き明かしてゆく。そういった部分で起伏に富んだ物語的カタルシスには乏しいのだが、異形の世界そのものをとことん俯瞰し堪能させる作品として楽しめばいいだろう。

この物語に一貫するのは人間性と文明の著しい退行だ。読みながら何かに似ているな、と思ったが、それはアレクセイ・ゲルマン監督による2013年のロシア映画『神々のたそがれ』であり、アンジェイ・ズラウスキー監督による1987年のポーランド映画『シルバー・グローブ』だった。どちらも宇宙時代にありながら中世や石器時代の如き文明退行を起こした惑星社会を描いているのだ。

サハリン島』とこの『神々のたそがれ』『シルバー・グローブ』は同じSF作品であるだけでなく、ロシア・ポーランドというスラブ圏から発信された物語であるという部分に於いて同一だ。例えば欧米作品であってもポスト・アポカリプス世界が舞台であるなら退行した世界が描かれるのは確かではあるが、ことこれらスラブ圏発信の物語はそれが「根こそぎ」であり、近代文明の残滓すら感じさせない。そこには社会主義国家ならではの物質的困窮が反映されているような気もするが、だからこそその異様さは西側諸国の描くものを遥かに凌駕する。そういった部分に於いて、『サハリン島』は破格であったのだと思う。

余談になるが、オレは北海道にある日本最北端の地、稚内の出身である。この稚内から、海を挟んでサハリン島を観ることができるのだ。現在ロシア領であるサハリンは、近くて遠い土地だ。だからこの『サハリン島』を読んでいると、奇妙な感慨を覚えるのだ。

サハリン島

サハリン島