イスラエルSFの芳醇なる収穫、『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』を読んだ。

■シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選

シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選 (竹書房新書)

イスラエルと聞いて、あなたは何を思い浮かべるだろうか。驚くなかれ、「イスラエルという国家は、本質的にサイエンス・フィクションの国」(「イスラエルSFの歴史について」)なのだ。豊穣なるイスラエルSFの世界へようこそ。

イスラエルのSF?珍しいなあ」と思い手にしてみたのがこの『シオンズ・フィクション イスラエルSF傑作選』である。とはいえ、軽い気持ちで挑もうとしたらなんとゲンブツの文庫本は700ページ越えの煉瓦本で、その段階で相当の挑戦的な態度が伺え、こちらとしても「これ読むの?……ああ読むさ読んでやるさ!」と闘志を露わにした所存である。

しかし最初の4編ほどまで読んでそんなふざけた気持ちは吹き飛んでしまった。どれも畳み掛けるように面白く、なおかつ今まで読んだ欧米SFとは微妙に違うテイストを持つビザールな作品が並んでいたからである。これはこれまで未踏の領域であった「イスラエルSF」というものが、いかに特異で完成度の高い作品に溢れているのかを知らしめる非常に優れた短編集ではないか。

例えばオレは最近の中華SFの面白さとその躍進ぶりに大いに注目していたが、それは中華SFという発展途上のジャンルの若々しさやヤンチャさ、大いなる将来性にワクワクさせられていかたらだった。しかしこのイスラエルSFからは、それとは違う、イスラエルという特異な国家ならではの歴史性と国際社会における立ち位置が反映されたものを如実に感じてしまうのだ。

なによりまず、「聖書」という”いにしえの物語”を生み出した民族であること、その後のディアスポラと流浪の歴史と悲惨な戦争体験、シオニズムの名の元に再建された古くて新しい国家であること、中東世界における現在の一触即発の立ち位置、同時に、「中東のシリコンバレー」とまで呼ばれる急進的なテクノロジー産業の勃興を擁する社会であることなど、さまざまな複雑な要素がその背景としてうかがえてしまうのである。

そして、そういった社会で生きる一般市民が、いったい何を夢想し、何に不安を抱えて生きているのかが、「SF」という形で結実したのがこの作品集であると言えるのだ。それは欧米SFの、高度資本主義社会とそれに裏打ちされた科学技術主義、それらに対する希望と不安といった形で結実する物語とはまた違ったものにならざるを得ないのだ。

同時に感じたのは、これらの作品からはかつてのロシアSFのような、容易く社会批判・体制批判が出来ない理由から生じる、どこか掴み所のない類推の困難なメタファーが存在するように感じる。実際のところ、元ロシア在住のユダヤ人移民による作品も存在している。しかしその掴み所の無さは逆に、あくまで異様で異質な世界観として眼前に表出し、奇妙な不安感を読後に残すのだ。

さて「SF傑作選」となっている本作だが、未来社会や危険なテクノロジー、世界の終りやテレパシーなどの、まさにSF的な物語は全体の3分の1ぐらいで、それ以外の物語は「奇妙な味」に極近い幻想小説的な作品が並ぶことになる。これはイスラエルSFがSFを「サイエンス・フィクション=空想科学」ではなく「スペキュレイティブ・フィクション=思弁的空想」としてとらえていることからなのらしい。さらに現代的なSF作品のみならず、深い歴史性に基づくフォークロアの匂いがする作品も見受けられた。

こうして紹介された作品の数々はどれも不可思議な異彩を放ち、これまで欧米SFでは触れたことも無いような感触を持ち、さらに傑作と太鼓判を押すべき痺れるような作品も幾つかあった。

ざっくり気になった作品を紹介すると、「スロー族」は人種隔離の話であり、「アレクサンドリアを焼く」は侵略・絶滅・過去の遺産・終わりなき戦いの物語で、これらは容易にイスラエルの歴史を浮かび上がらせていた。超能力者を描く「完璧な娘」はP・K・ディックにも通じる共感と痛みについての物語で本作品集の中でも白眉。「信心者たち」はハーラン・エリスンを想像させ、多次元宇宙を描く「白いカーテン」の寒々しさ、「鏡」の不可思議さ、「夜の似合う場所」のペシミスティックな終末世界、やはりディックを思わす「二分早く」、宗教的啓示を笑いものにした「ろくでもない秋」など、どれも奇妙な不安感を残す。そして「エルサレムの死神」。死神と結婚した女、という吸血鬼譚の変奏曲のような暗い死の臭いに満ちた物語は想像も付かない結末を迎える。これも傑作だろう。 

【収録内容一覧】
まえがき ロバート・シルヴァーバーグ
「オレンジ畑の香り」ラヴィ・ティドハー
「スロー族」ガイル・ハエヴェン
アレキサンドリアを焼く」ケレン・ランズマン
「完璧な娘」ガイ・ハソン
「星々の狩人」ナヴァ・セメル
「信心者たち」ニル・ヤニヴ
「可能性世界」エヤル・テレル
「鏡」ロテム・バルヒン
「シュテルン=ゲルラッハのネズミ」モルデハイ・サソン
「夜の似合う場所」サヴィヨン・リーブレヒト
エルサレムの死神」エレナ・ゴメル
「白いカーテン」ペサハ(パヴェル)・エマヌエル
「男の夢」ヤエル・フルマン
「二分早く」グル・ショムロン
「ろくでもない秋」ニタイ・ペレツ
「立ち去らなくては」シモン・アダフ
イスラエルSFの歴史 シェルドン・テイテルバウム&エマヌエル・ロテム