旧い神々と新しい神々との戦い/ニール・ゲイマンの『アメリカン・ゴッズ』が凄まじく素晴らしかった

アメリカン・ゴッズ(上)(下)/ニール・ゲイマン 

アメリカン・ゴッズ 上 アメリカン・ゴッズ 下

 出所まであと五日。三年の服役を終え、残りの日数を数えるシャドウ。あと、四日。あと、三日。そして…。その日まで四十八時間と迫ったとき、看守に呼び出されたシャドウはこう告げられた。今朝、愛する妻が自分の親友と浮気の末、自動車事故で亡くなったと―。呆然と立ちすくむシャドウの前に、奇妙な男が現れる。彼の持ちかけた仕事を引き受けた瞬間から、シャドウの数奇な運命の歯車が回り始めた。

Amazon Primeで配信されていたドラマ『アメリカン・ゴッズ』(シーズン1~2)は途方もなく面白い作品だった。「なんだこの凄まじい話は!?」と思い原作本を探してみたら、なんと原作者があのニール・ゲイマンだったのでさらに驚いた。ただ、アマプラでの初公開時には原作本が品切れになっていて手に入らず(そもそも2009年の発売だ)、最近やっと入手できたのでいそいそと読み始めたのが、これがもうドラマ以上に恐るべき作品で、今年読んだフィクションの中でもベスト級の完成度だと確信した。

アメリカン・ゴッズ』の物語はこうだ。主人公は刑務所から出所してきたばかりの男シャドウ。しかし出所寸前に彼の愛する妻は事故死していた。失意に打ちひしがれる彼にウェンズデイと名乗る謎の男が近づき「仕事を頼まれてくれ」と請う。やがてシャドウは奇妙な事件や奇妙な人々と出会うことになる。実はそれは、伝説の神々と、新しい神々との、壮大な戦いの予兆だったのだ。さらに死んだはずの妻がシャドウに付きまとい始め、そしてウェンズデイの正体が北欧神話の神オーディーンであることをシャドウは知ることになる。

旧い神と新しい神との戦い。古くはギリシャ神話で物語られ、近代ではクトゥルフ神話において旧神と旧支配者の対立といった形の創作が成されているが、この『アメリカン・ゴッズ』における「旧い神と新しい神」とはなんなのか。「旧い神」とはオーディーンをはじめ、アシュタロス、イフリート、レプラコーン、アヌビス、カーリーといった、世界中の神話伝承にある神々や妖精の眷属である。これら信仰やまじないの中に生きた彼らは、新大陸アメリカへ人々が移住した際に、共にアメリカに持ち込まれ、そこに住まうことになった。しかし、やがて信仰は失われ、「旧い神」たちは惨めに生き延びざるを得なくなってしまった。

一方アメリカでは「新しい神」が勃興しはじめる。それはクレジットカードの神、フリーウェイの神、インターネットの神、テレビの神……等々だ。彼らは新大陸アメリカにおいて「新しい神」として人々に崇められ、強大な力を蓄えることになった。『アメリカン・ゴッズ』は、これらアメリカで生まれた「新しい神」と、忘れ去られようとしている「旧い神」とが、「アメリカの神々」としてのお互いの権勢を賭け、殲滅戦を繰り広げる様を描いた物語なのだ。

こうした設定がそもそも凄い作品なのだが、これは「神」「信仰」といったものに対するアイロニカルな批評が成された作品でもあるのだ。「新しい神」とはつまり、「高度資本主義経済において発生した信仰の対象」である。それは「旧い神」を生み出すもとになった運命や生死にまつわる神秘性や畏れが払拭されてしまった世界における、合理と効率と即物性によって成り立つ神々であるという事なのだ。つまりそれは、「神無き地の神」と言う事もできるのだ。オレなどは個人的に、イギリスのニューウェーブ・バンド、フランキー・ゴーズ・トゥ・ハリウッドの、「我々はセックスと恐怖が新しい神々として君臨する地に住んでいる」という『トゥー・トライヴス』の歌詞を思い出してしまった。

とはいえ、この物語をなお一層ユニークにしているのは、決して「神々たちの熾烈なる戦い」のみをスペクタクルたっぷりに描くのものではない、という部分だ。代わりに中心的に描かれるのは、主人公シャドウがアメリカの様々なランドマークを「遍歴」してゆくという部分、そして同時に、シャドウ自身の「精神的遍歴」の様をじっくりと描いてゆく、という部分なのだ。これは「旧い神と新しい神」という人外の者たちの間で、一介の小さな人間が何を見、何を体験し、何を得てゆくのか、という物語なのである。この「遍歴者」としての彼の存在こそが、実は「神々の戦い」における大きな鍵となり、さらに「遍歴者」という宗教的ニュアンスを通じて、「神無き地で人は神/神性と出会えるのか」というテーマへと結びついてゆくのである。

これらの物語を作者ニール・ゲイマンは圧倒的な知識量と絶妙な構成力で描ききる。細かなエピソードのひとつひとつがはっとさせられるような輝きに満ち、同時に妖しい神秘性を帯びている。神々とその眷属を描く物語は限りなくスピリチャルな様相を呈し、この作品そのものがひとつの「神話」であるかのように構築されているのだ。同時に挙げたいのは、するすると水を飲むが如く読めてしまう文章力であり平易な文体の在り方だ。これはゲイマンの短編集『壊れやすいもの』を読んだ時も思ったのだが、彼がいかに優れたストーリーテラーであるのかを示すのと同時に、訳者の高い技術力もあるのだろうと思う。

それにしてもニール・ゲイマン、ここまで物凄い作家だとは思わなかった。他の作品も追って読んでみたい。なおゲイマンの短編集『壊れやすいもの』にはこの『アメリカン・ゴッズ』の後日譚とも呼べる短編作品が収められているので、『アメリカン・ゴッズ』と併せて読まれるとまた世界が広がるだろうと思う。

アメリカン・ゴッズ 上

アメリカン・ゴッズ 上

 
アメリカン・ゴッズ 下

アメリカン・ゴッズ 下