■雲/エリック・マコーマック
出張先のメキシコで、突然の雨を逃れて入った古書店。そこで見つけた一冊の書物には19世紀に、スコットランドのある町で起きた黒曜石雲という謎の雲にまつわる奇怪な出来事が書かれていた。驚いたことに、かつて、若かった私はその町を訪れたことがあり、そこで出会ったある女性との愛と、その後の彼女の裏切りが、重く苦しい記憶となっていたのだった。書物を読み、自らの魂の奥底に辿り着き、自らの亡霊にめぐり会う。ひとは他者にとって、自分自身にとって、いかに謎に満ちた存在であることか…。幻想小説、ミステリ、そしてゴシック小説の魅力を併せ持つ、マコーマック・ワールドの集大成とも言うべき一冊。
エリック・マコーマックの長編幻想小説『雲』は不思議な物語である。不思議で、奇妙で、さらに奇怪な物語である。同時に、数奇な運命と偶然とを描いた、心を捕らえて離さない物語でもある。
物語は、ひとりの男がメキシコで手にした怪しげな古書から始まる。「黒曜石雲」というタイトルのその書は、スコットランドで起きた真偽の定かではない怪奇現象について書かれていた。そこから男の回想が始まり、彼の大学時代から現在へと至る、世界の様々な地への旅と、そこで出会った様々な人々と、身を裂くような悲恋と、変転する人生とが語られてゆくのだ。そしてそれらの記憶にはどれも、奇怪な逸話に彩られたものだった。
この物語は二重の構造を成している。まず主人公である繊細な青年が幾多の経験を経て、大成した実業家へと至る物語は、ある種の成長譚として読むことができる。そこだけ抜き出して見るなら主流文学的味わいを持つものではあるが、確かに世界の辺地を経巡るその幾つもの体験は、新奇ではあれ、ひとつの文学作品としてみるなら多少ありふれたものであるかもしれない。しかし、この作品はその成長譚に怪奇のスパイスをまぶす。
その怪奇は、まず最初に主人公が出会う古書「黒曜石雲」の不気味な内容であり、彼が出会う様々な人々が語る、恐怖にまつわる話や不可思議の物語であったりする。主人公自身も、異様な体験や奇妙な出来事に出会い、さらに運命の悪戯としか思えない偶然や、長年隠され続けてきた真実と出会うこととなる。これら個々の逸話はそれだけとりだしてみれば単に「奇妙な話」ではあるが、主人公の成長譚と相補し合う事で、主人公そのものの人生にゴシック・ロマン的な昏い色彩を加味してゆく。
この、ひとりの男の人生の遍歴という至極現実的な側面に、なぜ奇怪な物語がまぶされてゆくのか。それはつまり、人生とは、その途上で出会う多くの体験とは、不可思議であり不可解なものであり、時に異様であり奇怪であり、さらには神秘と驚異に溢れたものである、ということを体現したものなのだからではないか。こうした、主流文学と幻想小説とをクロスオーバーさせたポストモダンな読み口を併せ持つのが本作であり、人の人生と怪奇への通俗的な興味は、頁を繰る手を休ませない面白さを兼ね備えている。
こうして『雲』は、ひとりの男が至る人生を描きながら、謎の古書「黒曜石雲」の真相へとも迫ってゆく。実は主人公と古書とには浅からぬ因縁が存在し、さらに主人公の破局した恋とその感傷とが常に通奏低音のように語られてゆく。これらが幾多の逸話を経て、大きな円環となって物語の終局へとなだれ込んでゆく様は圧巻だ。 この作品の最大の魅力は、円環の、つまりは永遠の物語の循環をそこに見出すことができるからなのだろう。