心の鎧/映画『ロケットマン』

ロケットマン (監督:デクスター・フレッチャー 2019年イギリス・アメリカ映画)

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イギリス出身の世界的ミュージシャン、エルトン・ジョンについては格別な思い入れがる。それはオレが一番最初に体験し熱狂したロックンロール・ミュージックが彼の曲だったからだ。

その曲のタイトルは『ピンボールの魔術師』。ザ・フーのロック・オペラ『トミー』をケン・ラッセル監督が映画化したサントラの中の一曲だ。映画好きで映画音楽好きだった中学生のオレはふとしたことからシングルカットされたその曲を聴き、その打楽器の如く打ち鳴らされるピアノの旋律に度肝を抜かされたのだ。「世の中にはこんな音楽があったのか!?これが、《ロック》ってやつなのか!?」とてつもない高揚感にオレはこの曲をヘッドホンをかけ最大音量で何度も何度も繰り返し聞いた覚えがある。これがオレの「ロック初体験」だった。


エルトン・ジョンElton John/ピンボールの魔術師Pinball Wizard (1976年)

とはいえそこからエルトン・ジョンの大ファンになりました、という訳でもない。他の、もっとヘヴィーなロック・ミュージックを探して聴くようになったからである。だからエルトン・ジョンできちんと聴いていたアルバムは『キャプテン・ファンタスティック』『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』そして『君の歌は僕の歌』の3枚のみである。それでも、オレのロック開眼の切っ掛けとなったエルトン・ジョンというアーチストは、それからもずっと一目置くべきアーチストとして脳裏に刻まれたのだ。

そんなオレだからエルトン・ジョンの伝記映画が製作されると聞いて嬉しくない訳が無いだろう。「エルトン・ジョンの伝記映画」にどれだけの日本の映画ファンが関心を持つのか全く分からないのだが、去年公開され大ヒットを飛ばしたフレディ・マーキュリー/クイーンの伝記映画『ボヘミアン・ラプソディ』の流れを汲んで、「栄光と苦悩のロックスター伝記映画」としてちょっとウケてくれたらいいかな、ということはちょっと思っている。

映画は『ボヘミアン・ラプソディ』撮影間際に解雇されたブライアン・シンガー監督の代行として抜擢されたデクスター・フレッチャーがメガホンをとっており、『キングスマン』シリーズのマシュー・ボーンが製作を担当、同じく『キングスマン』シリーズ主演のタロン・エガートンがエルトン役を務め、歌唱シーンも彼が歌っている。製作総指揮はエルトン本人だ。そして『キングスマン』といえば、第2作『ゴールデン・サークル』において、エルトンが本人役で登場し、怪奇極まりないドタバタを演じていたことを覚えている方も多いであろう。

それにしても同じロックスターの伝記映画ということからか、やはり『ボヘミアン・ラプソディ』とどうしても比べざるを得ない作品ではある。天才的なカリスマと才能を持ったアーチストであり、家族との葛藤があり、本人は繊細で孤独なキャラクターを持ち、魑魅魍魎の蠢く音楽業界で疲弊し、仲間との友情と決裂があり、そしてエルトンもフレディも共にゲイなのである。映画はその辺りを一通り描くが、実際にあった事であるとはいえ、「ロックスターの栄光と孤独」というステレオタイプをなぞった作品にならざるを得なかったのはいたしかたないかもしれない。

ただしエルトンとフレディには決定的に違う一つの点がある。それは、フレディは死して伝説になってしまったこと、対してエルトンは現在も生きて幸福に暮らしているということだ。そしてこの1点において、『ロケットマン』と『ボヘミアン・ラプソディ』は同じ「ロックスターの栄光と孤独」を描きながらも性格の異なる作品として完成することになる。どちらが優れている、ということを言いたいわけではないが、『ボヘミアン~』が死へと至る悲壮さに満ちた作品であったのと比べ、『ロケットマン』には「人生いろいろあったけど今は楽しく生きてます」という肯定感と明るさがある。そしてオレは、人生いろいろあっても、肯定と明るさを持って生き永らえる物語のほうが、やっぱり好きなのだ。

この作品のもう一つの楽しみは、シークエンスごとにいちいち変わってゆくエルトンの奇抜な衣装と奇抜な眼鏡のデザインが見られることだろう。これらはその時代時代のエルトンのファッションをきちんとなぞったものではあるが、なにしろこれら衣装が、奇抜さや派手さを超えて、「なんだかとても変」なのである。ロックスターの煌びやかな衣装、というよりも、「(派手過ぎて)痛い」のである。

これらの「変な衣装」は、エルトンにとって「鎧」だったのに違いない。こういっちゃなんだがエルトンは、ロックミュージシャンというにしては、あまりにルックスが貧相だった。近眼眼鏡でおまけに頭が薄いだなんて、全然ロックスターじゃない。そして同時に、彼はあまりにシャイだったのだと思う。そんな中身も見た目も地味な彼がロックスターを演じ、さらにシャイな自分自身を守るために「鎧」として必須だったのが、あの素っ頓狂なコスチュームだったのだ。冒頭に着て出て来るあの「赤い悪魔」の格好の滑稽さと言ったらない。そして彼はこうした「ド派手なロックスター」の滑稽な鎧の中でどんどん空っぽになってゆく。その空虚を埋め合わせる手段として手にしたのが酒であったりドラッグであったりしたわけなのだ。

この物語から無理矢理教訓的なテーマを掘り出すとしたら、それは「肥大化したペルソナに疎外された自己の救出」ということだろう。「自分とは何であるのか」という命題は、それは社会/共同体における部分と私的な個人における部分で齟齬が生じ、あるいは対立するものとして存在することがある。その乖離の中で悶え苦しむエルトンの姿は、一般的な現代人の中にも存在する病の姿でありはしないか。その葛藤の中にあるエルトンが旧知の友バーニー・トーピンとの友情によって救われる、というのがこの物語であり、そして、救いのある物語だからこそ、この作品は美しく完結してゆくのだ。未来は、明るい方がいい。 


『ロケットマン』本予告

ロケットマン(オリジナル・サウンドトラック)

ロケットマン(オリジナル・サウンドトラック)

 
キャプテン・ファンタスティック+3(紙ジャケット仕様)

キャプテン・ファンタスティック+3(紙ジャケット仕様)

 
黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード)(紙ジャケット仕様)

黄昏のレンガ路(グッバイ・イエロー・ブリック・ロード)(紙ジャケット仕様)

 
僕の歌は君の歌(紙ジャケット仕様)

僕の歌は君の歌(紙ジャケット仕様)