バンドデシネ・アーチスト、バスティアン・ヴィヴェス特集:その3『塩素の味』

 ■塩素の味/ バスティアン・ヴィヴェス

塩素の味 (ShoPro Books)

この『塩素の味』は2008年刊、今回紹介した中でも初期の頃の作品にあたり、同時に作者バスティアン・ヴィヴェスの名を大きく世間に知らしめた作品でもある。日本でも作者の初紹介作であり、唯一の全ページカラー作品だ。この単行本『塩素の味』には『塩素の味』『僕の目の中で』の2作が収録されている。 

タイトル作『塩素の味』はプールに通う少年と少女の出会いの物語だ。そして、ある意味”物語(ドラマ)”はそれだけしかない。しかしこの作品においても、作者が主眼とするのは【「描かれるもの(物語)」ではなく「描き方(見せ方)」】なのだ。作品内で描かれる殆どのページには、プールと、プールの水と、そこで泳ぐ(そしてたまに会話する)主人公たちのみが描かれる。それ以外の余計なもの、余計な世界が一切登場しない。

ここで目にすることができ、そして感じることが出来るのは、全編ペパーミントグリーンの色彩で統一された美しい画面、その色彩で描かれるプールの水の透明感、冷たさ、そこで泳ぐものたちが感じているであろう水の抵抗、水泳に使われる筋肉の動き、疲労、そして”塩素の味”だ。

特にコマ運びにおける時間感覚の在り方が独特だ。オノマトペは一切使われず、会話以外には静寂と、ゆっくりとした時間の流れだけが支配する作品世界なのだ。この作品を読む者は自らもまたプールの中にいるかのような錯覚に捕らわれるだろう。まるで感覚に直接的に訴えてくるかのような説得力の高いグラフィックと構成を成しているのだ。オレは「読む清涼剤」とかいうダサい惹句を思いついたぐらいである(スマン)。

もう一作、『僕の目の中で』は図書館で出会った学生と見られる男女の物語だ。『塩素の味』とは手法を変え、ここではパステルタッチのグラフィックが枠線なしで1ページに5~9コマのペースで進行する。そしてこの作品の独特さは、話者の視線の先にいる彼女、ないし周囲の風景のみが描かれ、話者が一切画面に登場しないことである。さらに彼女との会話シーンにおいて、話者自身の会話内容もまた一切描かれない。だから会話内容は推測するしかなく、その状況も想像するしかない。

この手法により、愛する彼女を(彼女のみを)みつめていたい、という話者の心理と高揚が、読む者の心理に直接的にシンクロし、これもまた『塩素の味』と同様に、読む者が自ら愛する女性の前にいるかのような錯覚を覚えさせてしまう。映画ではPOV視点映画というのが一時流行ったが、それと同様の迫真性を感じさせるのだ。

しかもこの作品においても時間感覚は特徴的で、一つ一つのエピソードは23ページでぶつ切りとなり、場面展開に説明は無く、断片的な情景が並べられるだけのその描き方からは、そのどの情景も「今」という刹那を切り取ったもののように思わされてしまう。楽しく豊かな時間は永遠の一瞬であるかのように。だからこそ最後に訪れる別離の悲哀も、一瞬のような永遠なのだ。