文化大革命と中越戦争の狭間の青春/映画『芳華 Youth』

■芳華 Youth (監督:フォン・シャオガン 2017年中国映画)

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■”文芸工作団”たちの青春

中国映画『芳華 Youth』は、1970年代の激動の中国を舞台に、歌や踊りで兵士たちを慰問する文芸工作団(文工団)と呼ばれる部隊に所属した男女の青春を描く物語だ。監督は『戦場のレクイエム』『唐山大地震』のフォン・シャオガン、主演は新進女優ミャオ ・ミャオ 、『空海 KU-KAI 美しき王妃の謎』のホアン・シュアン。原作・脚本に『シュウシュウの季節』のゲリン・ヤン。

《物語》1976年、文化大革命末期の中国。地方出身のホー・シャオピン(ミャオ・ミャオ)は憧れの歌劇団・文工団に入団するが、垢抜けない彼女は仲間達のイジメの対象になってしまう。そんな彼女の心の支えとなったのは団の模範兵、リウ・フォン(ホアン・シュアン)だけだった。そして毛沢東の死後、二人は別々の部隊に配属される。ホーは衛生兵として野戦病院へ、リウは兵士として中越戦争中のベトナム国境最前線へ。熾烈極まるその戦争は二人の運命を大きく変えてしまうこととなる。 

文化大革命中越戦争

映画『芳華 Youth』における「激動の時代」とは、1966年から1976年まで続いた文化大革命であり、その後1979年に起こった中越戦争が起こった時代である。文革は数100万人とも1000万人とも言われる犠牲者を出した非人道的な革命政策であり、中越戦争は大量虐殺で知られるカンボジアポル・ポト政権に肩入れした形で行われた中国対ベトナムの戦争であった。さらにこの中越戦争は中国側に壊滅的な打撃を与えたまま終了した。

つまり映画『芳華 Youth』における文工団の慰問とは、血塗られた文革の「愛国プロパガンダ」を行うことであり、主人公ホーとリウがその後送られた戦地は、中国の起こした「誤った戦争」の最前線であった。一見若者たちの瑞々しい愛と青春のドラマを描いているように見えるこの『芳華 Youth』は、裏を返せば無慈悲なる中国共産党の、その兵卒たちの日常を描いたものだということも出来るのだ。とはいえ、彼らもまた時代の犠牲者なのではあるが。

文工団のメンバーたちによる歌とダンス、そして伴奏は京劇に現代的味付けを加えたものだが、映画で観ることの出来るそれは、訓練と鍛錬の賜物による素晴らしいパフォーマンスであり、美しく目を奪われるものではある。華奢な体躯の俳優たちが軽やかに歌い踊るその情景はこの物語のハイライトの一つだろう。しかしその本質は「愛国プロパガンダ」であり、それを意識して見るならば途端に禍々しく硬直的なものにしか思えなくなってしまう。この作品での文工団の歌とダンスはどれも現代の北朝鮮を思わせる実に全体主義的な内容のものばかりだ。しかし、この作品は「愛国プロパガンダ」を華々しく謳う作品では決してない。

■「語られていること」と「語られていないこと」

この作品は「語られていること」よりもむしろ「語られていないこと」に意味が隠された作品なのではないかと思えた。 物語は当時の政治的状況や戦争の有様を批評も批判も無くそのまま描く。その中で登場人物たちは翻弄されてゆくが、しかしそれは政治的状況と切り離されあくまで「個人の問題」として描かれてゆく事になる。そこには「そういう時代なのだからそう生きていくだけでしかなかった」ということは描かれても「そう生きざるを得なかった政治的状況」への批判は無い。当然それは現在の中国共産党への忖度ということなのだが、作品の中の「描くべき部分で描かれないことの違和感」が逆に批評となっている、という微妙に捻じ曲がった製作態度が見え隠れするのだ。

その「語られていないこと」とは当然文革中越戦争の在り方への批判であり、党幹部子息への優遇や傷痍軍人に対する劣悪な補償の在り方への批判であったりする。物語では「そういうものだった」としてさらりと流されるが、当時を知る中国人が見るならば相当に思うことがあるのではないのか、と想像してしまう。映画はあくまで激動の時代を生きた中国人民のノスタルジーの形を取るが、あえて無批判に提示された物語と映像の背景にあるのはあの時代を生きてしまったことの暗い刻印なのではないかとオレは邪推してしまうのだ。

例えば劇中文工団のメンバーが当時流行していたテレサ・テンの曲を初めて聴きその歌唱法に陶然となる、というエピソードがある。劇中では単にロマンチックな挿話のひとつとして描かれるだけなのだが、実はテレサ・テンは台湾人歌手であり、当時中国では禁止されていた音楽だった。登場人物たちがテレサ・テンの歌に陶然となったのは、それは歌の美しさや技巧だけではなく、その新しさであり、世界に開かれた自由さの気風がそこにあったからではないか。そして文工団としての彼らが演じる古色蒼然とした京劇風の歌と踊りの窮屈さと退屈さを感じたからではないのか。これらは決して言及されないが、このエピソードの背後にあるのはそういったことではないのだろうか。

■うっすらと滲み出る「政治的忖度」

映画全体の流れとしてみると、多くのエピソードを掘り下げることなく端折ってしまったダイジェスト版のような物語のように思えてしまった。これは最初主人公がホーとリウの物語のように思わせながら、次第に他の登場人物個々のエピソードを、それぞれの独白を交えながら描かれだすためにとっちらかった印象を与えてしまっているからだ。そもそも文化大革命中越戦争という大きな時代の流れと30年あまりの歳月を群像劇的に描こうとしながら、135分の上映時間にまとめなければならないことに無理があったように感じる。しかしこれすらも政治的忖度があったばかりに相当のカットがあったせいだからなのではないかと思えてしまう。

そのひとつとして考えられるのが、「戦時において英雄的な行動を取った登場人物が戦闘ストレス反応を起こし精神に変調をきたす」というシークエンスを、たった一個の説明だけで終わらせているという部分だ。このシークエンスは物語全体に関わる重要なポイントであるにもかかわらず、素っ気無いほど単純に素通りしてしまい、映画を観ている最中呆気に取られたぐらいだ。実はこのシーン、「英雄が精神に変調をきたすとは何事か」と共産党から物言いが入り、一時上映が延期されることになった部分なのらしい。

こういった部分で、どことなく煮え切らない、もやもやとしたものを残す部分のある映画ではあるが、しかしこれをして凡作失敗作とも断言できないのだ。まず文革時の文工団のドラマ、という切り口が斬新であり、中越戦争の悲惨を正面から描いている部分で注目でき(ここにおける戦争スペクタクルの描写は半端ない)、なにより、文工団メンバーを演じる中国俳優たちの瑞々しさが素晴らしいのである。文工団を演じる俳優たちの容姿端麗さは、一瞬「これは中国のアイドル映画なのか?」と思えてしまったぐらいだ。確かに惜しい部分はあるにせよ、こういった部分で興味の尽きない、奇妙に心に残る作品であることも確かなのだ。

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