橋本治の『いつまでも若いと思うなよ』を読んでオレも老人になることについて考えた

■いつもまでも若いと思うなよ/橋本治

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

若さにしがみつき、老いはいつも他人事。どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか――。バブル時の借金にあえぎ、過労で倒れて入院、数万人に 一人の難病患者となった作家が、自らの「貧・病・老」を赤裸々に綴りながら、「老い」に馴れるためのヒントを伝授する。「楽な人生を送れば長生きする」「新しいことは知らなくて当然」「貧乏でも孤独でもいい」など、読めば肩の力が抜ける、老若男女のための年寄り入門。

橋本治の『いつまでも若いと思うなよ』を読んだ

橋本さんが亡くなって「この機会にまだ未読の橋本さんの本なにか読んでみるべか」と思い、アマゾンで何冊かまとめ買いしたのである。この『いつまでも若いと思うなよ』はその中の一冊で、オレももう若くないから丁度いいかも、と思ったのだ。

紹介文に「どうして日本人は年を取るのが下手になったのだろうか」などと主語の大きな惹句が書かれているが、まあそういった側面も無いことも無いのだが、基本は90年代以降の橋本さんの自叙伝的な内容だと思ったほうがいいかもしれない。

自らが老いてゆく過程とそのとき思ったことを書き記すことで、まだまだ自分を若いと思い込みながらも宿命的に老いざるをえない若い世代になにがしか参考になればと思って書かれたのがこの本なのだろう。だから何かの論旨が述べられてるようなコーショーなものを期待しちゃダメで、むしろ橋本ファンがしみじみと読むような内容のような気がする。

■90年代以降の橋本さんの自叙伝的内容

「90年代以降の橋本さんの自叙伝的」と書いたが、これはまず橋本さんがバブル期にうっかり1億6千万だかのマンション物件を買ってしまったことから始まる。これの月々の払いが150万円X30年、50万X4年ということらしく、まあ橋本さんが印税でどんだけ稼いでたのかは知らないが、やはり馬車馬の如く執筆活動を続けなければならなくなったのらしい。

で、多忙極まりないまま60歳にもなった頃に身体の不調で病院に行ったら今度は「数万人に一人の難病」であることが発覚。過労もあったのか他にもあちこちに併発症が出て、どう考えたって身体はガタガタ。入院は数ヶ月に及んだというからこれは普通に重篤な症状だろう。でも借金返さなきゃならないから指先が痺れてるのに病室で万年筆握って原稿用紙を埋めてたという。結構昔から橋本さんの本はよく読んでいたが、新刊の空白期間があって、それがこの時期だったのだろうけれど、オレは全然知らなかった。

原稿自体は2014年に執筆連載されたもので、それに終章の書下ろしを加えて2015年に刊行されたのがこの本ということになる。その4年後、2019年に橋本さんは亡くなるわけだが、この本を読むと、どう考えたって橋本さんは過労と借金苦で亡くなったとしか思えないんだよな。いみじくもその終章のタイトルは「ちょっとだけ『死』を考える」だった。

とはいえブラック企業のサラリーマンでもあるまいし、病気でも仕事を止めなかったのは、借金があるからというのもあるが同時にそれだけ執筆意欲もあった、頭に書くべきことが溢れてた、ということでもあったんだろう。仕事、好きだったんだよ。書くことが好きだったんだ。「過労と借金苦」とは書いたけど、同時に「執筆家という職業に殉じた」ということもできるかもしれないんだよね。オレは執筆家でもなんでもないからそれの良し悪しはわかんないけどさ。

■そしてオレももはや若くないのであった

そんなオレといえば、現在56歳で、今年は57になる。いやー、もうすっかりジジイですよ。ジジイだし、サラリーマン的に定年間近ということであり、さらに定年後の自分の人生を考えなきゃならないということでもある。

オレは以前から「若く見える」なんて言われててさ、割とそれが嬉しかったりしたもんだが、50過ぎてから「いやちょっと待てよ、調子に乗って若ぶるのは危険だぞ」と思い始めるようになった。「自分が若い」と思うことで、実際はどんどん年を取っているにもかかわらず、「若い連中と同じように仕事が出来て生活も送れる」なんて思い込むのは危ないんじゃないか、と思えてきたんだよ。

それは「まだ若い」から「若いヤツと同じような無理が出来る」と思い込んじゃうことの危険さだ。実際、身体のあちこちにガタがきているのは自覚していたけど、「いやまだまだイケる」と思うのは大間違いなんだ。ガタがきてるんだから「若いヤツと同じ」な訳は無いんだよ。そしてそれは仕事だけではなく、生活習慣のことでもある。「生活習慣病」ってあるじゃないですか。あれって、「自分は若いときと一緒」と思って無理や負担を身体に課すからなるもんじゃないかと思うんですよ。

それに気付いてからオレは職場ではなるべく年寄りアピールしはじめるようになった。それに実際、疲れやすくなってきててて、以前より無理が利かないし、残業が続くと相当ヘタるようになっていた。だから現実の姿を示しただけなんだが、まあ職場の皆も理解してくれているように思える。大事なのは今の健康で、今の健康が無いと将来も判んないじゃないか。

■ちょっと社会の話になっちゃうのだった

それとさ。年取った人間は、基本、どんどん無能になってゆくよ。これはどんな仕事の出来る人間でも間違いなくいつか到達することだ。ボケとかそういうことじゃなく頭も働かなくなってくるし、新しい案件には容易に適応できないし、当然スタミナはジリ貧だし、併せて性格はどんどん頑迷になってくし、だから「シルバー世代を生かしてバリバリ働いてもらおう!」なんて幻想というか妄想というか戯言でしかないと思ってる。働かせても、たいしたことできないんだよ。

で、ちょっと社会の話になっちゃうけど、そういった「どうせたいしたことのできない年寄り」がきちんと引退して生活できる世の中のほうが正しいとどう考えても思っちゃうんだ。「働けないから社会にはいらない人間」ってェのは、多分に【会社経営的】な話でさ、確かに「会社」には仕事の出来ない人間は要らないだろうけど、「社会」は「会社」じゃないんだよ。そういった「働けない人」をどう人間らしく生活させるのかが「社会」の在り方じゃないか。それは年寄りだけじゃなく、低所得者障碍者も一緒だ。こういった部分でケアできる社会のほうが全然健全じゃないかと思うんだけどな。

いつまでも若いと思うなよ (新潮新書)

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