ISと戦う女だけの急襲部隊/映画『バハールの涙』

■バハールの涙 (監督:エヴァ・ユッソン 2018年フランス/ベルギー/ジョージア/スイス映画

f:id:globalhead:20190126134422j:plain

夫と息子に囲まれた幸せな生活。しかしそれはISの襲撃により酷くも破壊された。夫は目の前で殺され、息子は拉致され、妹は強姦の未に自殺、自らも凌辱され性奴隷として売り飛ばされた。そんな状況の中からくも逃げ出すことの出来た彼女は、同じ境遇にある女性たちを集め急襲部隊の隊長となる。ISに復讐を果たすため、息子をこの手に取り戻すため。彼女の名はバハール。

フランスの女性監督エヴァ・ユッソンの監督した映画『バハールの涙』は2014年に起こったISによるヤスディ教徒襲撃事件をモチーフとした物語です。この事件では50万人の住人が街を追われ、5000人が虐殺され、6000人の女性と子供が誘拐され、女性は性奴隷に、子供はISの戦闘員教育を強要されたといいます。映画ではこの事件を基に、クルド人寡婦らで結成された「太陽の女たち」という名の架空の女性部隊を登場させ、彼女らの目を通して「家族を失った女たちの悲劇とその願い」を描きます。

物語はどこまでも凄惨です。ISというカルトが撒き散らす暴力と狂気、それはもはや地獄絵図そのものです。主人公バハールは一夜にして家族を失い、生活を失い、尊厳を失い、明日の命すら知れぬ奴隷として生きなければならなくなったのです。もともと彼女は弁護士でした。文化と教養ある生活を送る女性でした。それがある日を境に性具としてのみ扱われることになるのです。彼女に限らず、ここに登場する多くの女性もまた、それぞれの家族とそれぞれの生活とそれぞれの仕事を持ち、幸福な明日を信じて生きながら、バハールと同じ悲惨を体験した女性たちだったのでしょう。

そんな状況から逃げ出すことの出来た彼女らはそれぞれの思いを胸に対IS部隊に入隊し女だけの部隊を結成します。同じ地獄を見た同じ痛みを持つもの同士だからこそその結束は固く戦いの意思は強固です。さらに「聖戦」をお題目にして狼藉を働くIS隊員たちは「女に殺された男は天国に行けない」と信じており、それにより、彼らは女たちの部隊「太陽の女たち」との戦闘を非常に恐れていたのです。「太陽の女たち」は前線において勇猛果敢にIS部隊との戦闘を繰り広げます。女であることは少しも弱点ではなく、むしろ女であるからこそ、失った家族への強烈な熱情に突き動かされ、彼女らは戦うのです。ここにおけるISと「太陽の女たち」との戦いとは即ち、死と破壊をもたらす者と、愛と生命を育む者との戦いでもあったのです。

バハールを演じるのはイラン・イスラム共和国の女優、ゴルシフテ・ファラハニ。『チキンとプラム 〜あるバイオリン弾き、最後の夢〜』(2011)『エクソダス:神と王』(2014)『パイレーツ・オブ・カリビアン/最後の海賊』(2017)などの出演作があります。この作品においてファラハニは、常に物憂げな表情と悲しみに凍り付いた目つきで悲劇に見舞われ復讐を誓う女バハールを演じ切ります。数多の絶望を体験してきたと思わせる疲れ切ったような相貌を見せながらも、決して希望を捨てずに戦い続ける彼女の姿には非常に魅せられました。彼女のこのフォトジェニックなアイコンが、映画『バハールの涙』をさらに惹き立てることに成功しています。

ISという今世紀最大のカルトによる戦争、女性たちだけの部隊、悲劇的な過去と過酷な現在、その中における息子救出の願い、というポイントを押さえたシナリオも非常に良くまとまっており、映画作品としてもとても優れたものを感じました。それらは強烈な痛みを伴いながら徹底的に観る者の感情を揺さ振り、主人公への大いなる共感を生み出して行きます。要所要所に挿入されるアジア中陸の荒涼とした景色、そこに差す陽光の冷たい輝き、それら全ての人を拒むかのような美しさも記憶に残る作品でした。物語は非常に重いものを孕んでいますが、決して悲劇のみを描くことにとどまらず、その中で「女たちは何を思い、願い、どう行動したのか」を描いたのがこの作品の強味でしょう。ただし映画ではフランス人女性ジャーナリストも主要人物の一人として登場しますが、彼女の視点は必要だったのかなあ、とはちょっと思いました。ヨーロッパは決して彼女らを見捨ててはいない、というメッセージだったのでしょうか。