映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』があまりにも面白かったから原作バンドデシネ『ヴァレリアン』を読んでみた

■ヴァレリアン/ ピエール・クリスタン、ジャン=クロード・メジエール

ヴァレリアン (ShoPro Books)

時は28世紀――時空警察の捜査官ヴァレリアンとその相棒ローレリーヌは、星から星へと飛び回り、銀河の平和を守るための任務にあたっていた。今回彼らに課された任務は、宇宙ステーション“セントラル・ポイント"で行なわれる議会に大使を安全に送り届けること。だが、到着した瞬間、何者かに襲撃され、大使が連れ去られてしまった。はたしてヴァレリアンとローレリーヌは無事大使を連れ戻すことができるのか? そして、誘拐事件の裏に秘められた陰謀とは……!? 映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』の原作となったエピソード「千の惑星の帝国」「影の大使」の2編に加え、詳しい作品解説、映画公開を記念して行なわれたリュック・ベッソン監督と著者二人による特別対談を収録。

 『ヴァレリアン』の原作となったバンドデシネを読んだ

先ごろ公開された映画『ヴァレリアン 千の惑星の救世主』は大傑作だった。心底心酔した。少なくとも今年上半期の映画ベスト10作の1つに入れていい。

そんな『ヴァレリアン』の原作本があるというので早速購入して読んでみた。形態はフランスのコミック、いわゆるバンドデシネである。

『ヴァレリアン』の第1作目は1967年11月9日、『ピロット』誌420号に「悪夢」という作品タイトルで登場することになる。作者二人、原作をピエール・クリスタン、作画をジャン=クロード・メジエールが担当した。舞台は28世紀の地球、主人公はもちろんヴァレリアンとローレリーヌ。二人は時空警察官とその相棒という設定だった。

連載は大人気で迎え入れられ、その後2010年、単行本第21巻において堂々完結。実に43年間も続いた長寿シリーズであった。単行本全体としては第0巻とシリーズガイドである第22巻を加え全23巻となるのらしい。累計販売部数は250万部、十数の言語に翻訳され、アニメ化もされている。

今回日本で発売されたコミック『ヴァレリアン』には数あるエピソードの中から2作が選ばれ収録されている。どちらも映画版『ヴァレリアン』の原作となった、あるいは関わりを持つ作品である。ひとつは「千の惑星の帝国」(1971)、もうひとつは「影の大使」(1975)。というわけでこの2作を紹介してみよう。 

「千の惑星の帝国」(1971)

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実は「千の惑星の帝国」 は映画化内容とはそれほど関係ない。しかし映画版の副題「千の惑星の救世主」はこの「千の惑星の帝国」にちなんでつけらている。物語はある銀河の中心にある千の惑星の帝国の首都惑星シルトを舞台に、主人公二人がこの帝国を支配する"賢者"たちの陰謀を暴く、というもの。

エキゾチズムに溢れた未知の惑星の描写が印象的な作品だ。作画はまだ伸びしろを感じさせる荒削りな部分もあるが、SFマインドに溢れた数々のグラフィックは十分魅力的と言っていい。ただしト書きが非常に多く、説明的な台詞も多々見受けられるので、日本の漫画の調子で読もうとすると少々読み難いかもしれない(「影の大使」ではそれは払拭されている)。

この作品で驚かされるのはかの名作SF映画スター・ウォーズ』との類似点の多さだろう。主人公たちの駆る宇宙船はミレニアム・ファルコン号似だし、カーボン冷凍されたハン・ソロのように固められたヴァレリアンは登場するし、厳めしい兜の下に焼けただれた顔を隠す"賢者"たちはダースベイダーそのものだ。巨大で虚ろな石造りの宮殿を守る異星人の姿はジャバ・ザ・ハットの宮殿シーンを思わせる。

この「千の惑星の帝国」 の刊行が1971年ということを考えるなら、1977年に最初のエピソードが公開された『スター・ウォーズ』の先を行っていたということになる。しかし自分はここで『スター・ウォーズ』が『ヴァレリアン』原作の剽窃であると言いたいわけではない。一切参考にはしていないとは思わないが、むしろ『ヴァレリアン』を始めとする様々なSFデザインの結実点に『スター・ウォーズ』があったということだろう。そう、『ヴァレリアン』は『スター・ウォーズ』の原点でもある、ということなのだ。

「影の大使」(1975)

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1975年に刊行されたこの「影の大使」こそが映画『ヴァレリアン』の原作となるものだ。舞台は様々な異星人たちの暮らす広大な宇宙ステーション、セントラル・ポイント(映画版では「アルファ宇宙ステーション」)。ここで議会を開催する地球大使の護衛として主人公たちはやって来るが、謎の異星人の襲撃により大使は連れ去られ、それを追ったヴァレリアンも行方不明となる。残されたローレリーヌは大使とヴァレリアンの救出に向かうが……というもの。ね、映画と一緒でしょ?

この原作を読むと映画版の数々の「余計なシーン」と批判を受けているシーンが、実は原作を忠実に再現しただけのものであることがわかる。それぞれ映画版と原作では名前が違うけれど、ミュール変換機や情報屋ドーガン=ダギーズ、ステーション深部の危険地帯、変幻自在の異星人グラムポッド、邪悪の種族ブーラン・バソール、あと頭に乗っけるデカいクラゲみたいなやつとそれを採取するため沼でデカいモンスターと追いかけっこするシーン、その他その他、みんな入っている。

 もちろん映画版はこの原作以上に話を膨らませていて、例えば映画冒頭の「砂漠の惑星キリアン」における大捕り物はこの原作にはまるまる存在しないし、キャラ説明としての最初の主人公二人のやりとりも存在しない。映画版では司令官として登場した大使のキャラやその背景もかなり違う。けれども、「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような」と形容されるリュック・ベッソン映画『ヴァレリアン』は、そもそもその原作自体が「まるでおもちゃ箱をひっくり返したような」バンドデシネ作品だったことがこれを読むと分かるのだ。

例えば映画『ヴァレリアン』には今日的な多様性が描かれている、という批評をよく見かけるのだけれど、実はその"多様性"は既にこの原作で再現されている、という事もよく分かる。だってあのリュック・ベッソンが”多用性”なんか気に掛けるタマだとは思えないでしょ?これはコミック巻末のインタビューで書かれているのだけれど、原作者クリスタンはアメリカSF的な善悪二元論をこの『ヴァレリアン』に持ち込みたくなくて、むしろ真実を決めつけない曖昧なものにしたかった、と言っている。この「決めつけない事」が観る人によっては"多様性"にとれたのではないかと思う。

さて数ある「ヴァレリアン」作品の中でなぜこの「影の大使」が映画化されたのか?ということだ。ベッソンは「警察の捜査法なぞっていて謎を追う楽しみがある事」「主人公二人がお互いを助け合う物語であるという事」を挙げている。確かにその通りなのかもしれないけれど、この「影の大使」を読んでいると別の理由だったんじゃないかと思えてくる。

実はこの「影の大使」、ローレリーヌが大活躍する上に、非常に魅力に溢れたキャラに描かれているのですよ!もうホントに可愛いんです!そして可愛いだけじゃなくて表情豊かで行動力にも優れている。読んでいて惚れちゃう事必至!そう、ベッソンがこの「影の大使」を映画化しようとした本当の理由、それは美しくタフなローレリーヌの姿を、実写で再現したくてたまらなかったからじゃないのか、とオレは睨んでるんですけどね。そして原作とは全く違う映画のヴァレリアンのドンファンな気質は、あれは即ちローレリーヌを愛して止まないベッソンのキャラだったんじゃないか、とオレは邪推しているんですよ。

ヴァレリアン (ShoPro Books)

ヴァレリアン (ShoPro Books)