復讐とジレンマを描くSF巨編第2部/映画『デューン 砂の惑星 PART2』

デューン 砂の惑星 PART2 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2024年アメリカ映画)

映像化不可能と言われたフランク・ハーバードのSF小説デューン 砂の惑星』を『ブレードランナー2049』のドゥニ・ヴィルヌーヴ監督が見事に映像化したのがこの作品だ。映画は2部構成となり、第1部となる映画『DUNE/デューン 砂の惑星(以下:PART1)』は2021年に公開、そして今回満を持してその第2部『デューン 砂の惑星 PART2(以下:PART2)』が公開の運びとなった。

オレは『デューン 砂の惑星』は小説版も映画化された『PART1』も大のお気に入りで、この『PART2』の公開を非常に楽しみにしていた。というわけで会社に休暇届けを出し初日1回目の回をIMAXで鑑賞してきた。

デューン 砂の惑星』の物語は紀元102世紀末、宇宙に版図を拡げた人類帝国の、メランジと呼ばれる超貴重なスパイスを巡る権謀術数を描いたものだ。宇宙でただ一つメランジが採掘される惑星アラキスで、その統治を担っていたアトレイデス家はハルコンネン家の陰謀により全滅させられる。ハルコンネン家の生き残りであるポール・アトレイデスは復讐を誓い、砂漠の民フレーメンと共にハルコンネン家殲滅の戦いを開始するのだ。

拙ブログでの『PART1』の感想はこちら。もう大絶賛なのだが、映画の尺と同じぐらい長い文章なので、全部読んだ方がいるのかどうかは謎だ!今回はその反省として、短めにサクッと感想を書きたい。

さて映画だ。『PART1』では「デューン」の世界観を、それこそ小さな積み木をコツコツ積み上げ大聖堂のような壮麗な建築物に仕立て上げたような力技に唸らされた。オレが『PART1』に魅せられたのは、その精緻に構築された異世界の、迫真的な光景そのものにだった。

この『PART2』では『PART1』で構築された異世界の中で、いよいよドラマが大きくうねりだす。『PART1』では惑星アラキスの情景を舐めるように丹念に描いており、引きの絵が印象的だったが、この『PART2』で人間ドラマを中心とするため、登場人物のバストアップの絵が多い。それにより主人公ポールの数奇な運命を克明にクローズアップしてゆくことになる。

ここで描かれるポールの運命とは、圧政者ハルコンネン家を叩き潰すだけではなく、砂漠の民フレーメンの救世主となり、彼らを約束の地へと導くというものである。フレーメンを救うとされる救世主は伝説の中に存在しており、ポールその人が救世主として祀り上げられることになるのである。

どこまでもエキゾチックな砂漠の民の姿と彼らの暮らす過酷極まりない環境、その彼らが熱狂的に信じる救世主伝説、それにまつわる特異な信仰の在り方、そこからは非常に強烈であまりにも異質な宗教的光景が広がっている。この『PART2』を圧倒的なまでに覆うのはこの「あまりにも異質な宗教的光景」だ。観る者はこの異質さの中に投げ出され、それまで体験したことの無いような異世界の情景と異世界の理を目撃することになる。そしてこの異質な体験こそが『デューン 砂の惑星』の醍醐味なのだ。

ここには現実世界に於ける西洋と中東との対立を暗喩したものがうかがえるが、その中東の救世主が白人のポールである部分に矛盾が存在するように一見思えてしまう。しかし救世主伝説は実は秘密結社ベネ・ゲセリットが流布した作りごとだったのだ。ポールの母ジェシカはそのベネ・ゲセリットの一員であり、救世主伝説に乗りかかる形でハルコンネン家討伐を画策したのだ。この作品では正義と悪といった単純な対立項ではなく、どこまでも計略と策謀が中心となっている部分に、ポールという存在のジレンマが見え隠れする。そしてそのジレンマがポールの辿る運命に一筋の悲哀をもたらしているのだ。

もう一つ、この作品はドラッグによる意識の拡大があまりにも明示的なテーマとなっている。物語の重要項目となるスパイス「メランジ」は人間を長命化し、意識を拡張させ、超能力的な感覚を高める効能があるとされている。すなわちメランジは「知覚の扉の向こう」へと旅立つことを可能にしたドラッグに他ならない。

原作である『デューン 砂の惑星』が発表されたのは1965年、ヒッピー文化が興隆を迎え、若者たちのドラッグ体験が拡大した時期だ。ヒッピー文化は資本主義社会の変革とスピリチュアルな生活スタイルを探求したものだったが、その変革の要の一つはドラッグだった。

デューン 砂の惑星』はSF小説の体裁を取りながらドラッグによるオルタナティブな新世界を探求する物語だった。だからこそ異世界であり異文化であり異なった宗教であり、そして旧弊な社会の打倒を謳ったのである。それにより『デューン 砂の惑星』は当時の若者たちにとってバイブルと化し、現在においてもこの小説を読んでいる事が一つの教養とみなされているほどだ。この小説がなぜアメリカで爆発的な人気を得、ここまで完璧な映画として完成させることが待たれていたのかという秘密はここにある。

感想をまとめるなら、精緻な異世界構築を実現した『PART1』と比べると、この『PART2』は物語を展開させそして畳むことを第一義としているために異世界それ自体の味わいに乏しく感じてしまった。異邦の宗教観に満ちた描写は優れており、堪能できた。クライマックスの戦いは壮絶なスペクタクルに満ちていたが、それは『PART1』におけるアトレイデス家崩壊の光景を逆回ししているようにも思え、ある種予定調和的であったかもしれない。

ただ、どうもこの映画、『PART3』へと続く含みを持たせているのだが、原作の『デューン 砂の惑星』にも続編があり、やはり続くのか!?続かせるのか!?という期待もある。なぜならこの『PART2』においてもポールを取り巻くジレンマは解消されていないからだ。

……いかん、やっぱり長くなってしまった!?