■ブレードランナー 2049 (監督:ドゥニ・ヴィルヌーヴ 2017年アメリカ映画)
《目次》
- 35年振りの続編『ブレードランナー 2049』
- 生の虚しさと儚さ
- 孤独と自己存在への不安
- 格差社会
- 迫真のSF世界
- 『ブレードランナー 2049』予告編
- 『ブレードランナー 2049』前日譚
- 関連商品
35年振りの続編『ブレードランナー 2049』
1982年に公開されたSF映画『ブレードランナー』の続編、『ブレードランナー 2049』が遂に公開された。そしてIMAX3Dで観ることになったその作品は、予想をはるかに上回る、とてつもない傑作だった。これは伝説化した1作目を超える新たな伝説となる作品なのではないか。原作と1作目の両方のファンである自分にとって非常に感無量である。1作目から35年か。あれから35年、生きていて本当に良かった。
さてここでは1作目『ブレードランナー』を踏まえ、『2049』とはなんだったのか、その根幹的なテーマの在り方を探ってみたい。ネタバレは避け、物語には一切触れていないつもりだ。
生の虚しさと儚さ
『ブレードランナー』ほどの物語ともなると幾つもの研究や考察や言及があるだろう。それは物語が様々な要素を孕んでいて、そのどれもがひとつの問い掛けであったり現実の諸相のカリカチュアであったりするからだ。『2049』にしても、どこか哲学的である意味煙に巻くようなセリフが登場し、それらの意味はいかようにでも解釈することができる。
だが、ここでは『ブレードランナー』の物語をもう少し卑近に考えたいのだ。例えば1作目の物語とはなんだったのか。それは「神殺し」の物語である。造物主である人間に対する被造物であるレプリカントが叛逆を起こす。そこには神話的な意味合いもあるだろう。だが「神殺し」がテーマ、では抽象的過ぎないか。だからこう考えてはどうだろう。限られた寿命を持つ存在、それはレプリカントではなく我々人間の事なのだ、と。
人間は生まれ、限られた寿命の間になにがしかの体験をし、そして死ぬことによって消え去ってしまう儚い存在だ。では消え去ってしまうだけのこの短い人生に、いったい何の意味があるのだろう?『ブレードランナー』1作目のラストで反逆レプリカントのリーダー、ロイ・バッティが呟いた言葉にはそんな意味が含まれていたのではないか。「生の虚しさと儚さ」、『ブレードランナー』1作目が描いたのはそんなことだったのではないか。
孤独と自己存在への不安
さらに、『ブレードランナー』が描いていたのは「大勢の人の住む都会で自分は一人ぼっちで孤独だ」という事と、「こんな自分ってなんなんだろう、何者なんだろう」という事だった。『ブレードランナー』に登場する街並みはあんなにごみごみと人で溢れているのに、登場人物たちは誰もが孤独で誰とも繋がりを持たない。誰もが広々としたフラットにたった一人で生活する。「人間かレプリカントか」という不安、「レプリカント処理」という徒労に塗れた虚無的な仕事の遣り切れなさも、自己存在の不安定さをあからさまにする。
「生の虚しさと儚さ」「生きる事の孤独」「自分が何者であるのかという不安」。これら『ブレードランナー』の孕むテーマは、人が生きる上で直面する普遍的な問い掛けであり、不安ではないか。そしてだからこそ、『ブレードランナー』の物語は我々の心を捉え、歴史を超えて語り継がれてきたのではないか。
格差社会
そして、監督を変え、35年の月日の末に完成した『2049』も、この根底となるテーマは全く変わっていない。それを活かせていたからこそ『2049』は1作目の世界観ときっちりリンクした正統な続編として完成したのだ。なおかつ、マッチョなリック・デッカードよりも線が細くナイーヴな捜査官Kを主役に据えることで、根幹となるテーマがより深化されさらに鮮やかに浮き上がってくることになる。
さらに『2049』の物語に加味された新たなテーマは「格差社会」だ。一つは地球を逃れ新天地の植民惑星で暮らす者たちと、汚濁と衰退に塗れた地球に暮らさざるをえない者たちという格差。そして汚濁の地球の都市における、人間と"まがいもの"であるレプリカントとの格差。さらに、都市部と遺棄された廃墟の中で暮らす者たちとの格差。「格差社会」は日本を含む今日の現実社会でも問題となっている現象であり、この部分に『2049』の今日性がある。
迫真のSF世界
こうしてみると、『2049』は1作目の続編である以上に、1作目のアップグレード版でありアップコンバート版であり、更に今日的な視点を挿入したアップトゥデイト版ということができるではないか。
それは物語だけではない。スクリーンに映し出されるありとあらゆるSFイメージが、そのSF的世界観が、圧倒的な迫真性で眼前に迫ってくるのだ。これらはもはや2017年の現在において観ることのできる最高のSFイメージに他ならない。さらにそのSFイメージは、原作者である60年代SF作家P・K・ディックのものというよりも、サイバーパンクSF作家ウィリアム・ギブソンの小説すら思わせるよりリアリティの増した汚濁に満ち暗澹とした未来世界なのだ。だが「生きることの惨めさ」という点では紛れもなくディックの遺伝子が受け継がれているといっていい。
163分の上映時間は長いと思われるかもしれない。しかし観終った時、オレは、もっともっと、この世界に耽溺していたいと思った。それほど、強固に、完璧に近く作り上げられた世界だったのだ。監督ドゥニ・ヴィルヌーヴはその名前をSF映画史にきっちりと刻み付けたことは間違いない。
『ブレードランナー 2049』予告編
『ブレードランナー 2049』前日譚
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