ワッシュさんの《映画テン年代ベストテン》に参加するよ

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■《映画テン年代ベストテン》

ワッシュさん主催のはてなブログ『男の魂に火をつけろ!~はてブ地獄変~』恒例のベストテン企画、今年は《映画テン年代ベストテン》だ!!この企画は「2010年から2019年に公開された映画のベストテンを挙げる」というものなんだね。詳しいことはワッシュさんのブログを見てもらうとして、今回の企画にオレも参加してみるよ! 

というわけで早速本題に行ってみよう!  

■オレ的映画テン年代ベストテン!!

1位:マッドマックス 怒りのデス・ロード (2015)
2位:バーフバリ 王の凱旋 (2018)
3位:ブレードランナー 2049 (2017)
4位:銃弾の饗宴‐ラームとリーラ (2013)
5位:リアリティのダンス (2014)
6位:T2 トレインスポッティング (2017)
7位:アバター (2010)
8位:アナザー・プラネット (2012)
9位:華麗なるギャツビー (2013)
10位:アベンジャーズ/エンドゲーム (2019)

まあだいたいスンナリ決まったな。1位のマッドマックス 怒りのデス・ロード、そして2位のバーフバリ 王の凱旋、この2作はもうつべこべ言う余地など一切無いガチな名作でしょう。もはや21世紀を代表する作品として今後も長きにわたりベストテンに入り続けると思う。

3位以降はもっと個人的な好み。ブレードランナー 2049はSF好きのオレにとってテン年代のナンバーワンSF映画ってことでいいんじゃないかな。4位の『銃弾の饗宴‐ラームとリーラ』はインド映画祭で限定公開された作品だけどオレがインド映画に狂ったようにハマった切っ掛けとなった超名作。5位『リアリティのダンス』は言わずと知れたアレハンドロ・ホドロフスキーの奇跡のカムバック映画。最高!

6位『T2 トレインスポッティングの苦くて苦くて苦すぎる展開はむしろ年とってからのほうが共感度が高いと思う。7位アバターテン年代を象徴するSF映画だった。そしてこれを超えるIMAX作品は未だに観たことがない。8位『アナザー・プラネット』はDVDスルー作品だけど主演・脚本のブリット・マーリングの才気がほとばしるカルト映画。9位華麗なるギャツビーバズ・ラーマン監督のめくるめく映像とこれもまた苦く苦くどこまでも苦い物語がオレのハートを鷲掴み。10位のアベンジャーズ/エンドゲーム』は今世紀に入って大爆発したスーパーヒーロームービージャンルに止めを刺した決定作としてこれも長く語り続けられると思う。

続いて選外になった作品を挙げておこう。

■映画テン年代ベストテン次点作品

・PK (2016)
・ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う (2014)
・クロニクル(2012)
ダークナイトライジング (2012)
ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q (2012)
・エンジェル・ウォーズ (2011)
・オーケストラ! (2010)

『PK』は超娯楽作であると同時にインテリジェントな作品でインド映画の持つポテンシャルの高さに驚愕させられた。『ワールズ・エンド 酔っぱらいが世界を救う』はこのほろ苦さが一人の酔っぱらいとして忘れ難い。『クロニクル』は『AKIRA』『童夢』のテイストをとっととハリウッドで、しかもPOVで実写化してしまったフットワークの軽さがテン年代ぽかった。ダークナイトライジング』は伝説の3部作ラストとしてこれも有終の美を飾ったと思う。ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q、イビツな作品ではあるが、超高密度の物語と映像に酔った。『エンジェル・ウォーズ』、PV感覚な映像に特化したこの作品はもはや映画とは呼べない別のジャンルと化していた。『オーケストラ!』は笑いと涙、喜劇と悲劇、暗い歴史と輝くべき明日を描く畢生のヨーロッパ映画だ。

■《テン年代ベスト》作品のオレのレヴューを羅列してみる

それぞれの作品はオレのブログでレヴューを書いているのでそのリンクと文章を一部抜粋して紹介しておこう。 

1位:マッドマックス 怒りのデス・ロード (2015)

『怒りのデス・ロード』においてマックスたちは、人智を超えた恐るべき暴虐と不可能にすら思える試練を乗り越えギリギリの生死の境から生還を果たそうとする。そして神話は、その英雄譚は、困難の中に旅立ち、幾多の苦難に出遭いながら、それに勝利して生還する英雄の姿を描く物語である。その姿を通し、不条理な生と死の狭間に生きねばならない人の運命に、道筋を与え、その意味するものを掘り下げてゆくのがこの寓話の本質にあるものなのだ。『マッドマックス 怒りのデス・ロード』はその神話に新たな章を刻み付けた作品であり、我々はそこで展開する原初の物語に、太古から無意識の血の中に存在している英雄たちの姿に、生の本質と、乗り越えるべき運命を見出す。だからこそ我々は魂をも揺さぶる大いなる感銘を受け、そして歓喜するのだ。

 

2位:バーフバリ 王の凱旋 (2018)

いやあ、全方位的にとんでもねえ映画だったなあ!!!!

もうあれこれとことんとんでもなさすぎて、ちまちま言葉で言い表してゆくのが無意味のような気がするほどとんでない映画です。この『王の凱歌』を映画ファン的に評するならば「『ロード・オブ・ザ・リング』を『マッドマックス 怒りのデスロード』テイストで描いたインド映画」 と言い表すのが一番分かり易いかもしれません。『LOTR』の壮大なファンタジー世界を『MMFR』の暴発寸前の熱狂と興奮で描き、そこにスパイシーなガラムマサラをふんだんにぶち込んで芳醇な味と香りと脳天にキリキリ来る辛さを醸し出した映画だということです。

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3位:ブレードランナー 2049 (2017)

さらに、『ブレードランナー』が描いていたのは「大勢の人の住む都会で自分は一人ぼっちで孤独だ」という事と、「こんな自分ってなんなんだろう、何者なんだろう」という事だった。『ブレードランナー』に登場する街並みはあんなにごみごみと人で溢れているのに、登場人物たちは誰もが孤独で誰とも繋がりを持たない。誰もが広々としたフラットにたった一人で生活する。「人間かレプリカントか」という不安、「レプリカント処理」という徒労に塗れた虚無的な仕事の遣り切れなさも、自己存在の不安定さをあからさまにする。「生の虚しさと儚さ」「生きる事の孤独」「自分が何者であるのかという不安」。これら『ブレードランナー』の孕むテーマは、人が生きる上で直面する普遍的な問い掛けであり、不安ではないか。そしてだからこそ、『ブレードランナー』の物語は我々の心を捉え、歴史を超えて語り継がれてきたのではないか。 

 

4位:銃弾の饗宴‐ラームとリーラ (2013)

二人の出会い、高まる気持、人目を忍ぶ密会、結婚を誓う二人、そして駆け落ち。映画は二人の切ない恋の行方を、インド映画らしい躍動感溢れる踊りと美しい歌で盛り上げてゆくんです。そこに目の痛くなるほどの原色に彩られたインドの神々が踊る艶やかな祝祭シーンが盛り込まれ、その高揚はいやが上にも高められていきます。しかしそれと並行して、対立する二つの家の抗争が、町全てを巻き込みながら次第に血生臭いものへと化し、暴力と死がじわじわと画面を覆うのです。そして物語は、鮮烈で幻惑的な色彩美、匂い立つようなエキゾチシズム、熱狂と陶酔、そして死と生のコントラストに彩られながら、運命のクライマックスへとひた走ってゆくんです。

 

5位:リアリティのダンス (2014)

それにしても『リアリティのダンス』というタイトルにはどのような意味が込められているのだろうか。ホドロフスキーはインタビューの中で「人生もこの世で起こることも繋がったものであり、そしてそれらは常に変化してゆく、即ちそれはダンスのようなものなのだ」と語っている。それは【生々流転】ということなのだろう。このとき【リアリティ】とは、いわゆる「客観性による現実」を指すものではなく、「主観性による現実」を指すものなのだろう。ホドロフスキーの作品の多くは、「客観性による現実」の持つ諸相を「主観性による現実」でもって捻じ伏せた表現となっている。それこそが「寓意化」なのだ。ホドロフスキーの『リアリティンのダンス』はこうして、象徴と寓意のダンスを描きながら、生の秘密とその真実を、そして生きることの喜びと慈愛とを解き明かしてゆくのだ。

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6位:T2 トレインスポッティング (2017)

未来があろうがなかろうが、「死」だけは誰にも公平に訪れる。刹那の興奮と快楽に沈溺していようと、どれだけ自分の人生を先延ばしし続けようと、「死」だけは確実に自らの身に訪れる。そして、その終局を意識した時に、自分の人生の全貌が、自分が何をして何をしなかったかが、目の前に詳らかになる。レントンに限らず、主人公たちは皆、年老いることによって、自分の無様な人生と、ようやく対峙することになる。そして、そんな無様なだけでしかなかった自分の人生に、年老いることにより、落とし所を見つけられるか見つけられないか、それがこの『T2』という物語だったのだ。

 

7位:アバター (2010)

さらにこの映画は、二重の意味で、《異世界》への《逃避》を描き出す。主人公ジェイクは、半身不随の不自由な肉体を持ちながら、アバター・ボディに思考転移することで、元の肉体のくび木を捨て、自由に走り回ることの出来る、新たな世界に生きる事になる。その新たな世界は、これまで生きていた世界が、まやかしであったと思えるほどに生き生きとし、そしてもの皆光り輝く、美しい世界だ。そこは生存の為の戦いという危険があるにせよ、むしろ己が生命のきらめきを、確実に感じ取れる世界なのだ。主人公ジェイクは、ナヴィとして生きることを選ぶことになるが、それは、正義や愛だけから、選んだのではないのだと思う。彼は、そここそが、生きている実感を感じることの出来る、"真の"世界だったからこそ、そこで生き、そこを命懸けで守る事を選んだのだ。

 

8位:アナザー・プラネット (2012)

「ここではないどこか」で、私の夢は叶えられる。「ここではないどこか」で、私は幸せになれる。しかし逆に言えばそれは、今いる、今生きているこの場所では、私は、決して、絶対に、夢を叶えることも、幸せになることも、出来ないということなのではないのか。そして、「ここではないどこか」というのは、他ならぬ「空に浮かぶもう一つの地球」なのだ。悲嘆に満ちた現実と、いつまでも癒されることのない未来しか存在しない世界、しかしその世界の空の上に、あり得ない筈の、【救済】が、ぽっかりと浮かんでいる。そしてその【救済】は、この現実世界に生きる者には、本当なら決して手の届かない、「ここではないどこか」にしか存在しない。それならばそれは、果たして【救済】と呼べるのか。しかし、それでも人は夢想してしまう、こうでなかった自分と、こうでなかった人生を。【救済】へと、いつか手の届く日を。だからこそ映画『アナザープラネット』は、どこまでも切なさに満ちた作品なのだ。

 

9位:華麗なるギャツビー (2013)

 大富豪となったギャツビーは、いうなれば世界の全てを手に入れた男だ。あたかも彼は世界の「王」の如く君臨していた。しかし、その世界には、愛する君が含まれていないのだ。彼にとって、世界は、「君と共に生きる」ことで、初めて成り立つものであった筈なのに、君はいないのだ。君のいない、君以外は全てがある世界、結局それは「全て」ではない以上、「無」と変わりない。君がいない世界は、それは、世界ですらない。それは「虚無」だ。なぜなら、彼にとって、「君」こそが世界と等価であり、「君」こそが、真に世界そのものであったからだ。そして彼は、虚無の中で、愛する君という輝きに満ちた光明を請い求める。虚しい世界を、君に振り向いてもらうために飾り立てる。虚しい飾り、まさに虚飾だ。あらん限りの世界の富で飾りたてられながら、飾り立てれば飾り立てるほど、それが巨大な虚無にしか見えないのは、その全てが、彼の「孤独」の裏返しでしかないからだ。ああ、この物語は、なんと寂しく悲しい世界を描いたものだったのだろう。

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10位:アベンジャーズ/エンドゲーム (2019)

しかし『インフィニティ・ウォー』は違っていた。これは、これまで培ってきたMCUを終わらせるために製作されていたのだ。ここまで長い年月を掛け膨大なファンと莫大な収益を得てきたシリーズ作を終わらせる、という英断の在り方に驚いた。どこぞの””SF星間戦争シリーズ”と志が違うな、と感心した。しかもただ終わらせるのではなく、全宇宙の全生命が半分となり、当然ヒーローたちも半分方消滅してしまう、という未曽有の危機を描いて幕を閉じたのである。世に幾多あるSF作品ヒーロー作品の中でもここまで絶望的な状況を描き切った映画は後にも先にも初めてかもしれない。

 

……以上、オレ的「映画テン年代ベストテン」でした!いやーしかし、今回の記事書いていて、取りあげた映画全部観直したくなっちゃったよ!やっぱりそれだけ好きなんだろうね!