『文豪怪奇コレクション』全5巻を読んだ/その⑤ 綺羅と艶冶の泉鏡花〈戯曲篇〉& 『文豪怪奇コレクション』のまとめ

文豪怪奇コレクション 綺羅と艶冶の泉鏡花〈戯曲篇〉/泉鏡花(著)、東雅夫 (編集)

文豪怪奇コレクション 綺羅と艶冶の泉鏡花 〈戯曲篇〉 (双葉文庫)

異界の美男美女が乱舞する鏡花戯曲の三大名作──「天守物語」「夜叉ケ池」「海神別荘」に加えて、 友人の独文学者・登張竹風と共訳した初期の珍しい佳品「沈鐘」(ハウプトマン原作)、 非業の死を遂げた〈お友達〉たちの秘密が明かされる「多神教」、 吉原大火の記憶を池の蛙と緋鯉が語り合う「池の声」、 三島由紀夫と澁澤龍彥を熱狂させた晩年の「山吹」、 幽霊劇の極地「お忍び」を収録。 日本文学の頂点を極める、必読の名作ばかりを蒐めた、不朽の一巻。

泉鏡花〈小説編〉に続いて〈戯曲編〉である。「嗚呼、鏡花読み難かったなあ、でももう1冊あるんだよなあ….」と思いつつ読み始めたのだが、これがなんと、〈小説編〉より全然読み易い。嗚呼、読み易いなあ、有り難え有り難えと読み進めると、これが今度は、面白い。面白いどころか、引き込まれる。なんだなんだ?なんだか凄いんじゃないか?と今度は茫然としている。そして遂には、オレは今とんでもない天才作家の書物を読んでいるんじゃないか?と思い始めてきた。そうして読み終わり、すっかり泉鏡花の大ファンとなり、興奮気味に次に読む鏡花小説漁り始めたぐらいだ。改めて言おう。泉鏡花、凄え。

この〈戯曲篇〉における物語の多くは、鬼哭啾々たる怪談噺では決してなく、人間界とは別個の位相に住まう精霊たちの眷属が、なにがしかの因縁で俗世の人間と関わってしまい、紆余曲折を経た後のその顛末を描くものとなる。精霊たちの出で立ちはまさに物の怪のそれであり、その装束は贅を凝らした豪華絢爛たるもので、それを描写する文章の得も言われぬ美しさにため息が出るほど、なるほどこれぞまさに鏡花小説の神髄となるものなのだろう。これらは和風ファンタジーと言っていい内容で、舞台となる日本中世・近代の光景がまたファンタジー風味をより一層高めることになるのだ。

まずはなにより鏡花戯曲三大名作「夜叉ケ池」「海神別荘」「天守物語」だろう。「夜叉が池」は洪水を封じる為千二百年前に人と龍神が交わした盟約を守り山奥の鐘を撞き続ける男と、旱魃に喘ぎ男の妻を贄にしようと迫る村人衆との物語だ。不可思議な伝説と伝承、闇に踊る精霊鬼神の群れ、醜怪な人間の姿、それらがないまぜとなった恐るべき幻想譚であった。「海神別荘」は深海に住まう精霊の眷属に嫁入りする人間の娘の物語だが、海の御殿の煌びやかな描写には陶然とさせらた。とはいえ実はこれは人間側から見るならば「富と引き換えに海魔に生贄の娘を差し出す話」であり、生と死に対する人間と精霊の意識が全く隔絶している部分が面白い。天守物語」は姫路城の天守に巣くう精霊の夫人が、殿様の名によりそこに命を賭してやってきた武士と恋に落ちるという物語。ここでも人間と精霊の生命/存在に対する認識の違いと、さらには人間界の醜さとが対比的に描かれ、鏡花一代の名作として完成している。

「沈鐘」はドイツ作家ゲルハルト・ハウプトマン原作の妖精たちが闊歩するファンタジー作品を鏡花が翻訳(共訳)した幻想譚。鏡花が訳したことにより和洋折衷な内容になっている部分が面白い。多神教は御百度参りを村人たちに見咎められ暴行を受けていた女を精霊たちが助けるという話。これも人間と精霊との理(ことわり)の違いが描かれる作品だ。そして鏡花は常に人間の(蒙昧な)理を糾弾する。「山吹」は自害しかけた女を老人形遣い師が救うが、その後の老人形遣い師の要求が人間の業に根差した悲しくもまた凄惨なもので、鏡花の人間への眼差しの在り方が伺われる。「お忍び」は幽霊屋敷へ肝試しに出向いた男女の出遭う幽霊譚だが、後半因縁話に変転する展開がスリリングであった。

おまけ: 『文豪怪奇コレクション』のまとめ

という訳で『文豪怪奇コレクション』全5巻を読み終えたわけだが、5巻程度の怪奇作品集とは言え、全集を一気に読んだのはオレも初めてで、さらに殆ど読んだことの無い、文豪と呼ばれる日本作家の作品をまとめて読めたことは稀有な体験だった。そして全体的に見るならやはり泉鏡花の作品が(〈小説篇〉は相当難儀したとはいえ)抜きんでて素晴らしかった。

ここでそれぞれの作家の文章のざっくりした印象を建物で例えてみよう。

夏目漱石:煉瓦造りの堅牢な建物。

江戸川乱歩:苔むした藁ぶきの古民家。

内田百閒:ガラス張りでできた出入り口の無い温室。

泉鏡花:ガウディ建築のような奇妙で壮麗な礼拝堂。

最後にこのブログでの『文豪怪奇コレクション』1巻~4巻の感想リンクをまとめておく。