最近読んだ本〜『書楼弔堂 破暁』

■書楼弔堂 破暁 / 京極夏彦

文庫版 書楼弔堂 破暁 (集英社文庫)

明治二十年代の半ば。雑木林と荒れ地ばかりの東京の外れで日々無為に過ごしていた高遠は、異様な書舗と巡りあう。本は墓のようなものだという主人が営む店の名は、書楼弔堂。古今東西書物が集められたその店を、最後の浮世絵師月岡芳年や書生時代の泉鏡花など、迷える者たちが己のための一冊を求め“探書”に訪れる。変わりゆく時代の相克の中で本と人の繋がりを編み直す新シリーズ、第一弾!

京極夏彦の連作短編集『書楼弔堂 破暁』は2013年に刊行された作品だが、自分は最近になって「ああこんなのも書いてたの」と知った程度だった。ところでタイトルは「しょろうとむらいどう はぎょう」と読むのらしいが、「はぎょう」って何なのか今もって知らない。すまん。で、最近Kindleを購入し「さてなんの本を入れるべか」と探したところ何も無く(じゃあなんで買ったんだ)、しょうがないから未読だった京極のこの小説を入れて読んでみた、という程度の興味だった。ちなみに「あ、Kindle購入した本はあいほんでも読めるんだ」と知り、結局全部あいほんで読んでしまった。Kindle?机の引き出しに入ったままだよ!(じゃあなんで買ったんだ)
で、読み終わったんだが、いやなにこれ普通に良作じゃない?あんまりよかったから続編もKindle購入してまたぞろあいほんで読む予定だよ。電車やバスで読むときにいいんだよ。
時代は明治、お話の中心となるのは「弔堂」という辛気臭い名前の古本屋が舞台だ。本屋のクセに「とむらいどう」というのは、「本は墓のようなものだ」という店主の主張によるものらしい。まあ店主自体が辛気臭いのだ。もと坊主だっちゅうし。で、物語は狂言回し役の高遠なる男が、ひねもすのたりのたりしながらなんとなく弔堂に通うようになり、そしてそこに客を紹介したらそれがどいつもこいつも明治時代の著名人だった!?というのがラストで明かされるという仕組みになっている。これら著名人は心に迷いを抱えているのだが、弔堂店主の勧める本によってこれからの指標を見出し、後に名を残す人物になる、という塩梅だ。
まず狂言回し役の高遠という男が、京極小説に頻繁に登場する「とことんやる気のないぼうふらみたいな隠居男」っていうのがいい。この手のキャラはたまにイラつかされるが、オレも年を取ってくるとこういう「やる気のない人生」になんだかとても共感を覚えるのだ。いいのかそれで。そして弔堂店主というのがなにやら「京極堂」シリーズの中禅寺を思わすような人物でまたもやニヤリ。この店主が"本"を通じて相手の"憑き物"を落とす、というプロットも「京極堂」シリーズぽい。この、本ごときで憑き物落としされる明治著名人、というのは少々牽強付会な気もするが、時代の雰囲気をとことん巧く醸し出している文章が、それを気にさせなくしているのだ。
そう、この作品、プロットがどうこうよりも文章がいい。それにより浮かび上がる明治の情景が、これまた実にいい。この辺京極さんの円熟の技だが、このたおやかな文章に浸れるだけでも読んでよかったと思う。そしてその明治の情景は、佐幕・倒幕・尊王攘夷に揺れた激動の時代の後の、内省の時期でもあったのだ。価値観が大きく変わってゆくその時代に、「自分が誰で、何をすべき(だった)なのか?」という、デリケートな問題を、「本との出会い」によって解決しようとする本書は、もうひとつの読書論でもあるのかもしれない。

書楼弔堂 炎昼

書楼弔堂 炎昼