大映妖怪3部作を観た。

大映妖怪3部作」とは『妖怪百物語』(1968)、『妖怪大戦争』(1968)、『東海道お化け道中』(1969)の3作を指す映画作品で、タイトル通り"妖怪"が物語の要となって描かれている。なんで今「大映妖怪3部作」なのかというと、これは単なる個人的ノスタルジーである。1968年公開の『妖怪百物語』は実は子供の頃劇場で観ていたりしていたのだ。それと、去年の暮読んだ京極夏彦の長編小説『虚実妖怪百物語』が大変素晴らしい作品だった為、気分的に"妖怪"がキテいたのである。そんなわけで『ガメラ』『大魔神』でお馴染みの大映特撮を駆使した(?)「大映妖怪3部作」をちょっと紹介してみよう。(参考:妖怪シリーズ - Wikipedia

■妖怪百物語 (監督:安田公義 1968年日本映画)


1968年公開のこの映画を劇場で観たオレは1962年生まれだから6歳ぐらいだったのだろう。当時は妖怪ブロマイドや妖怪プラモデルを買ったことを懐かしく思いだした。そしてこうして50年振りぐらいに観直してみると、なんと物語を全然覚えていない。妖怪が出ているのは流石に覚えていたが、観直して「こんなお話だったのか!」と驚いたぐらいだ。そのお話はと言うと悪徳代官とつるんだ阿漕な大家に長屋の住人たちが無理矢理立ち退かされることになり、そのうち殺人事件まで起こって住民たちの憤懣遣るかたないところに祠を壊された妖怪たちが現れ……というもの。実際妖怪たちはただ現れるだけで悪さや復讐の手助けをするわけではないが、心やましい悪人たちは妖怪の姿に恐怖に駆られ勝手に自滅してゆくのである。いうなれば勧善懲悪の物語なのだが、つまりは悪事を成した者には必ず祟りが起こる、ということなのだ。ただし現実的には正しい人間がきちんと悪事を追及し事を収めることになる。全体的に大人でも楽しめる通俗時代劇の構成を成しており、この頃の大映の志の高さがうかがわれる。妖怪の造形は今見ると稚拙ではあるが、これはこれで味わい深いということにしておこう。そしてクライマックスの"百鬼夜行"の光景がなにより圧巻であり、きちんと「妖怪物語」として〆るのである。(参考:妖怪百物語 - Wikipedia

妖怪大戦争 (監督:黒田義之 1968年日本映画)


その続編となるこの『妖怪大戦争』、これも実は当時劇場に観に行ったのだが、子供だったオレは冒頭数分で気持ち悪くなり、映画館を出てしまっただけでなくゲロッてしまった思い出がある。だから実のところ観ていないというのが正しい。今観ると別にゲロるほど気持ちの悪い作品でも何でもないんだが、なにしろ当時のオレは大変な怖がりだったということなのだ。お話は古代バビロニアの吸血妖怪ダイモン(原典は無く創作らしい)が甦りなぜだか日本に来て日本を征服せんと企むのである。そこへ日本妖怪集団が登場し、ダイモンを懲らしめようと力を合わせるのだ。前作では殆ど喋らなかった妖怪たちがこの作品では喋くりに喋くりまわり、しかも関西弁や九州弁まで登場するのだからとても楽しい(その妖怪の言い伝えのある土地の方言ということらしい)。また前作ではどちらかというと背景だった妖怪たちがこの作品では主役となって暴れまわり、その分視聴年齢設定は若干下がった作品だということが出来るが、だからこその面白さがこの作品にはある。そして興味深かったのはこの作品とホラー映画のマイルストーンウィリアム・フリードキン監督作『エクソシスト』(1973)との夥しい共通点だ。ダイモンの出現地古代バビロニアとは『エクソシスト』の悪霊パズズの発掘された現イラクのことであり、それら悪霊が海を隔てた馴染の無い土地の人間に取り憑く、という流れも一緒だ。そして『エクソシスト』における悪魔憑きリーガンがキリストを冒涜したように、『妖怪大戦争』においてはダイモンの取り憑いた代官が神棚や仏壇を破壊するのである。妖怪の一人がダイモンを成敗するのに「俺に取り憑け!」とやる部分は『エクソシスト』クライマックスと合致する。映画ではダイモン対日本妖怪軍団の熾烈な戦いが描かれ特撮好きはにんまりすること至極だろう。(参考:妖怪大戦争 (1968年の映画) - Wikipedia

東海道お化け道中 (監督:安田公義 1969年日本映画)


大映妖怪3部作」のラスト作品に位置づけられる作品ではあるが、実は今回『妖怪百物語』『妖怪大戦争』をまとめて視聴しようと調べた時に初めて存在を知った作品であり、それまで「3部作」であったことすら知らなかった。タイトルはどことなくコミカルだが、内容自体は『妖怪百物語』を思わせる通俗時代劇に妖怪を絡めてみせたお話になっている。物語の中心となるのはある理由からヤクザに追われる幼女が、まだ見ぬ父を探し様々な人に助けられながら東海道を旅してゆくというものだ。いわゆる股旅ものであり、人情と殺陣がたっぷり盛り込まれた外連味溢れる大衆娯楽時代劇として完成している。この王道の物語展開はあたかも日本の伝統芸のごときであり、逆に全く古さを感じさせない。そしてそこにヤクザに祠を壊された妖怪たちの怒りが絡んでくるという訳だ。妖怪の登場シーンはこれまでで最も少ないようだが、アクセントとして効果的であったように思う。そして全2作がどちらかというとどんよりと湿気の多い暗さのあった作品だったところを、道中の自然や街道町が多く描かれるこの物語はどこか風通しがよく明るい雰囲気がある。物語も明快で歯切れがいい。さらにこの時代の日本俳優の顔がいい。自分は誰が誰と言うほど名前は知らないのだが、ヤクザの面構えも善人の凛とした表情もどれも惚れ惚れする顔付であった。(参考:東海道お化け道中 - Wikipedia