コッポラ作品『ゴッドファーザー』を原案としたインドの暗黒街物語〜映画『Nayakan』

■Nayakan (監督:マニ・ラトラム 1987年インド映画)


已むに已まれず警官殺しをしてしまった少年が成長し、暗黒街の顔役にのし上がってゆく。映画『Nayakan』は『ボンベイ』(1995)、『ディル・セ 心から』(1998)で知られるマニ・ラトラム監督により1987年に公開されたテルグ語映画である。

この作品の見所はマリオ・プーヅォ原作、フランシス・フォード・コッポラ監督により製作された映画史に残る名作、『ゴッドファーザー』を原案として製作されているということだろう。また同時に主人公はボンベイに実際に存在したマフィアのドン、Varadarajan Mudaliarの生涯をもモデルにしているという。主演はタミル語映画界ではラジニカーントと並ぶ別格的存在カマラ・ハーサン。作品は公開後評論家に絶賛をもって受け入れられ、1988年にヴィノード・カンナー主演のヒンディー語リメイク『Dayavan』、1999年にヒンディー語吹き替えバージョン『Velu Nayakan』がリリースされている。また、米「タイム」誌による「映画オールタイムベスト100作品」の中に数えらた作品でもある。

《物語》南インド。活動家の父を目の前で警官に殺された少年サクスヴェルは、報復としてその警官を刺し殺し、密輸業者フセインを頼ってムンバイへと逃亡する。成長したサクスヴェル(カマラ・ハーサン)はフセインから密輸業を受け継いでいたが、スラムで横暴を働く警官たちに果敢に抵抗する彼は次第に貧しい人々の信望を集め、「ナヤカン(英雄)」と呼ばれるようになっていった。結婚し、いつしか暗黒街の顔役として君臨していたサクスヴェルだが、ある日敵対する密輸業者の襲撃を受け妻を亡くす。サクスヴェルの娘チャルマティは母の死は父がマフィアであることが原因だと知り、彼の元から去ってしまう。数年後、ムンバイに新しい警視監(ナサール)が赴任し、サクスヴェルらマフィア一掃に乗り出す。だがその警視監の妻は、サクスヴェルの娘チャルマティだった。

インド版『ゴッドファーザー』と呼ばれるこの物語、『ゴッドファーザー』とどう似ていてどう違うのかを気にして観てしまった。似ている部分、というとやはり主人公サクスヴィルを演じるカマラ・ハーサンがマーロン・ブランド演じる『ゴッドファーザー』の主人公、ビトー・コルレオーネになり切っていることだろう。この『Nayakan』では主人公サクスヴィルの少年期・青年期・老年期を描いてゆくが、この老年期のサクスヴィルの容貌が、ビトー・コルレオーネを模したものになっているのだ。

白髪交じりの頭髪は後ろに撫でつけられ、口髭を生やし頬には『ゴッドファーザー』におけるマーロン・ブランドの如く含み綿をし、さらに低いしゃがれ声で喋る。もはや形態模写状態なのだが、これが観ていて妙に楽しい。その出自にしてもビトー・コルレオーネが両親を殺されイタリア移民としてアメリカに渡り犯罪行為に手を染めたように、父親を殺されたサクスヴィルは南インドから遠くムンバイへと渡る。マフィアとなってからは人々の非合法な願いを聞き入れる。そしてもちろん「ゴッドファーザー」らしく子供の名付け親にもなるのだ。

ゴッドファーザー』と違う部分、というのがこの作品の独自性であり、テーマとなるものである。ビトー・コルレオーネは同じイタリア系移民への便宜を図り、そして家族=ファミリーの結束を第一義に考えたが、それは即ち「同朋の血」を重んじてのことだった。それに対し『Nayakan』でサクスヴィルが暗黒街のドンとなれたのは、まず貧しい人々のコミュニティにおいて絶大な支持を得られたからであり、それは権力に対する強烈な不信と怒りを直接的に表明したからであった。いかに彼の稼業が非合法のものであろうと、まず彼は民衆の英雄=ナヤカンだったのだ。『ゴッドファーザー』がアメリカ移民の歴史性についての物語だったとすれば、この『Nayakan』は貧富の差が激しいインドにおける、低下層の民衆たちのその苦しみと願いを描こうとしたものではなかったのだろうか。