恐怖すら憶えさせられる景観と、どこまでも続くかの様な空気感。〜ゲーム『人喰い大鷲のトリコ』

I.

プレイステーション3伝説のゲーム『ICO』『ワンダと巨像』をプロデュースした上田文人氏による新作ゲーム『人喰い大鷲のトリコ』が、7年とも言われる製作期間を経て遂に発売された。オレも早速プレイしてその素晴らしさに感激している。
とはいえ最初にちょっとだけ正直なところを書かせて欲しい。『ICO』『ワンダと巨像』は確かに伝説ともいえるPS3ゲームで、オレも『ICO』に関してはその作りこまれた世界観とゲームシステムに感嘆させられっぱなしだった。当時「PS3でお薦めのゲームは?」と聞かれたら何よりもまず「ICO!」と答えていた。それほど素晴らしいゲームだった。だが実は『ワンダと巨像』はきちんとプレイしていない。楽しみにして購入したが、冒頭で投げ出してしまった。発売された2005年暮れと言うとオレはひたすら殺戮しまくるFPSゲームばかりやっていた時期で、『ワンダと巨像』の「巨像を探しに馬に乗ってあてもなく荒野を駆けずり回る」というゲームの流れがまだるっこしくてたまらなかったのだ。
そんなこともあって実は『人喰い大鷲のトリコ』の製作発表があった時も「もういいかな」と思っていたぐらいだし、その後の延び続ける製作期間のニュースについても醒めた目で見ていた。「トリコ」なる怪物のビジュアルを見た時は「どこが大鷲?単なるできそこないじゃない」と思ったし、舞台となる謎の遺跡群を見せられても「『ICO』から一歩も進化していない二番煎じ」とまで感じた。だから完成が近づき発売まで後一歩と知っても別段購入するつもりはなかったのだ。
だがしかしなぜだかたまたま開発中の動画を見てしまったのである。そこでは『ICO』譲りの高低差の激しい遺跡群の中を、巨大な怪物トリコと少年とが協力し合いながら乗り越えてゆくシーンが抜粋されていたのだろうと思う。そしてその怪物トリコが。もう、本物の生き物のように悠然と動き回っていたのだ。「うわあ、なんだこれ」オレはその生々しい存在感を持った姿に愕然とした。これはグダグダ言ってないで買うべきだ。…・・・という経緯を経て購入したというわけである。

II.

というわけで『人喰い大鷲のトリコ』だ。ゲームの雰囲気や展開は『ICO』とそれほど変わらない。謎の巨大遺跡で目覚めた謎の少年と側にいた謎の怪物トリコ。少年はトリコの巨大な体躯とその跳躍力、さらに特殊能力を助けに迷宮となった遺跡を抜け出す(または目的地に向かう)というゲームになっている。要所要所で謎の鎧兵が行く手を阻むことがあるが、少年は武器を持っていない為一切戦えず、これをトリコを誘導することで撃破することになる。またゲームの途中からはトリコに行動を支持することが出来るようになり(そこまではただ"呼ぶ"だけ)、これによりさらに迷宮パズルの解析に幅が広がってゆく。
最初にゲームの難点と思われる部分を自分なりに判断してみる。まず主人公の少年の操作とそのアクションは、例えば同様に高低差の激しい場所をアクションで乗り越えてゆく『アンチャーテッド』シリーズと比べると流石に軽快さと洗練の度合いは低いが、これは単に「別のゲームだから」と納得するべきだろう。とはいいつつ「ここ、アンチャだったら簡単に先に進むんだけどなあ」とつい思ってしまう。カメラアングルは確かに「どうにかしてくれ」と思うことが多いが、ストレスが溜まるというほどではない。ちょっとキーを見やすい方向に動かしてやるだけだ。トリコはなかなか思った通りに動いてくれなくて若干イラつくこともあるが、ロボットを操作しているのではなく生き物に指示を出しているだと思うとこの冗長性も理解できる。
良かった部分を書こう。それ以外全部だ。最初にも書いたが生きているかのように動くトリコになにしろ感嘆させられる。ゆったりと歩く時の筋肉の動きや時折見せる細かな挙動など、いったいどれだけ研究したのかと思う。側にいる時は食べ物を食べようとしないとか実に生き物っぽい。水のある場所でごろごろ転げまわりながら水浴びを始めた時には本当に驚かされた。そして、可愛いなあ、と思った。呼べばやってくるし、捕まって乗ることもできるし、アクションゲームをやってるのではなくペットシミュレーションゲームをやっているような気分にすらさせられる。そうそう、鼻先に捕まるとムズがって首降るんだぜ?

III.

そして最も素晴らしかったのは、その広大な遺跡群の恐怖すら憶えさせられる景観と、どこまでも続くかの様な空気感だ。確かに、大自然を精緻で美しいグラフィックで描くゲームは山ほどあるが、この『トリコ』はそれらとは一線を画している。それは「どれよりも作り込まれたグラフィック」ということではない。そういった技術的な部分はせいぜい平均的だろうと思う。しかし、この『トリコ』がそれらより抜きんでているのは、まず、広大な世界(廃墟)に自分(主人公少年)とトリコだけがおり、それに圧倒的な孤独感と不安感を覚えさせられてしまう、という部分だ。その孤独と不安に、ゲーム世界の静けさがさらに追い打ちを掛ける。そしてその孤独と不安が、世界への圧倒的な没入感を生み出しているのだ。今いるこの場所が、電脳的に描かれたクリアすべきゲーム画面なのではなく、確かに目の前にあり、自分の居る場所なのだと錯覚させてしまうのだ。
自分がFPSゲームにハマった決定的な作品に、PCゲーム『Unreal』がある。このゲームにハマったのは、当時から革新的だったゲームエンジン「アンリアルエンジン」で生み出された世界の透徹したリアルさだった。オレはゲームの最中、敵さえ目の前にいなければ、「ここはいったいなんという世界なのだろう」と異世界の空を眺め地を眺め遠くに見え隠れする山々を眺めながら気が遠くなるような思いだった。その時自分はこの世界から切り離されゲーム『Unreal』の世界の中に一人孤独にぽつねんと立っていたのだ。それはビジュアルの美しさというよりも、ゲームの最中にふと立ち止まってしまうエアポケットのような時間がゲーム内に存在したからなのだろうと思う。その時自分はゲームを先に進め敵異星人を殺し回りながらクリアを目指すことよりも、ずっとこの異世界の中に一人孤独に佇んでいたいと思ったのだ*1
あれから様々なゲームをやり破格の進化を続ける様々なゲームビジュアルを見続けてきたけれども、あのような徹底的な没入感を味合わせてくれたゲームは『Unreal』と『Half-Life2』ぐらいだったような気がする。そして自分は、あの時の様な非現実世界への没入感を求めて今までゲームというものを続けてきたのだと思う。ゲーム『人喰い大鷲のトリコ』は、そんな、「オレがゲームに求めていたもの」を再び思い出させ、そして味合わせてくれた、久々のゲームだったのだ。

*1:そういう部分が好きでFPSやってるので、ゲーム自体は相当下手糞。いつもキャンペーンしかやらないし、イージーでやることが多い。