■チェルノブイリの春 / エマニュエル・ルパージュ
描くことは「ものの表皮をめくること」。チェルノブイリと福島を彷徨う過程で、ルパージュの目に見えてきたものとは? 前提ありきの作品を拒絶しそのために苦悩もする著者が偏見なき眼差しで生身の人々を見つめ描き上げた、衝撃のドキュメンタリー・バンドデシネ。
冒頭から暗いモノトーンのグラフィックがチェルノブイリの廃墟と誰もが知るこの原発事故の恐ろしい経緯を描き出してゆく。作者エマニュエル・ルパージュのグラフィックは禍々しくもまた美しい。その美しさはそこに横たわる透徹した"死"が、その不条理が、逆に見る者を魅了してしまうからなのだろう。
この『チェルノブイリの春』はバンドデシネ作家エマニュエル・ルパージュが、チェルノブイリに滞在した2週間の間に体験し感じたことを描いたコミック作品である。作者エマニュエル・ルパージュの作品は先に『ムチャチョ―ある少年の革命』(拙レビューはこちら)が訳出されているが、自分はこの作品の瑞々しい色彩感覚と圧倒的な描写力に非常に感銘した記憶があり、この『チェルノブイリの春』も歴史的な原発事故のルポルタージュというイデオロギッシュな側面それ自体よりも、あくまでエマニュエル・ルパージュの新作として興味を覚え読んでみたのだ。
そもそもこの作品が成立したのは、ルパージュがとある支援団体から、一人の画家としてチェルノブイリの惨禍をドキュメンタリーしてほしい、と要請されたことから始まる。だが完成した著作にはルパージュが描いた作品や感じたことが殆ど反映されていなかった。その著作で反映されなかったルパージュの想いとは何だったのか。それは、「チェルノブイリが、美しい」という事実だったのである。そして再び描かれたのがこの『チェルノブイリの春』というわけだったのだ。
そう、放射能による死の世界である筈のチェルノブイリは、今、百花繚乱の植物が生い茂る、自然の宝庫と化していたのだ。ルパージュは戸惑う。人類の愚かさ、原子力産業の危険さを描こうと意気込んでチェルノブイリに入ったルパージュが見たものが、目を奪うような自然の美しさだったからだ。そして、チェルノブイリの周辺で生きる人々が、危険と絶望的な状況の中にあるにもかかわらず、生き生きとして明るく柔和に生きていたからだ。その戸惑いは、美への追及が人よりも秀でる画家の目とその感受性からである、ということもできるだろう。事実チェルノブイリとその周辺は永劫として人の立ち入ることのできる土地ではなく、その周辺で生きることに生命の保証は何もないのは確かなのだ。美しい自然の背後にある"死"を描くべきなのに、「描くことは「ものの表皮をめくること」」である筈なのに、ただただ美しい自然に、ルパージュは打ちのめされるのだ。
「こんな時間をチェルノブイリで過ごすことが想像しただろうか。大惨事の真っ只中で、惨状を描きに来たはずなのに。満ち足りて、濃密な時間を生きている感覚だ…今、この場所で時の流れを見失った…」 (p191〜p120)
そしてルパージュのグラフィックは冒頭のダークなモノトーンから一転、緑こぼれる生き生きとしたチェルノブイリの大地を描き出してゆくのである。その自然は人の生きてゆくことのできる自然ではないかもしれない。しかし、イデオロギッシュな視点から一つ離れて、生命の持つ雄々しさ、決して生きることを止めない力強さを、この作品では肯定していこうとするのだ。
なお巻末には2012年にルパージュが原発事故後の福島を訪れた際の短編ドキュメンタリーコミック『フクシマの傷』が掲載されている。ここでルパージュはチェルノブイリの教訓を何一つ生かさない日本の行政への怒りを顕わにし、その惨状の一齣をグラフィックとして焼き付けている。
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