イタリア作家ブッツァーティの作品2作〜『タタール人の砂漠』『シチリアを征服したクマ王国の物語』

■無為なる人生の墓標〜『タタール人の砂漠』ディーノ・ブッツァーティ

タタール人の砂漠 (岩波文庫)
将校に任官したジョバンニ・ドローゴが赴任したのは見渡す限りの岩山と砂漠の広がる辺境の砦だった。いつ来襲するかわからない幻のような敵を待ちつつ、緊張と不安の中でドローゴの青春はただただ浪費されてゆく。そして何一つ起こらないまま数十年の月日だけが経って行き…。
ディーノ・ブッツァーティが1940年に刊行した『タタール人の砂漠』は、"無為なる人生"そのものを隠喩した長編小説だ。平凡な人間の、平凡で、退屈な人生。「何かよいことが、自分を変えるきっかけとなる変化が、この人生に起こってくれればいいのに」と願いながら、何も成す事ができず、何が起こるわけでもなく、ひたすら同じことばかりが繰り返される毎日の中で、老いだけが自分を待っている。
いや、自ら変化を成そうとしなかったわけではない、しかし、どこかで感じてしまった自らの人生への幻滅が、泥のように足をすくい、結局どこへも行くことはできはしなかった。そして忍従に奉仕するだけの仕事の中で、主人公は次第に、タタール人の来襲を、自らの人生を変化させることができるただ一つのカタストロフを夢見るようになる。それはいってしまえば、凡俗の市民が当たる筈などありはしない宝くじを買って有り得ない僥倖を夢見るのと似ている。
小説『タタール人の砂漠』は、こうして「何も変わり映えしない人生」を暗喩として託された物語であるがために、実の所、物語自体にも、ほぼ事件らしい事件は何も起こらずに進む。時として仲間の死も描かれるが、それは無意味でひどく馬鹿げた死でしかない。生そのものが馬鹿げたものであるかのように。そしてこの物語が真にそのテーマを露わにするのは後半の、もう後戻りも出来ぬほどに年老いた自分自身を認識した主人公の、その寂寞感が描かれるときだろう。そしてあまりに皮肉な事件がクライマックスに待ち構えているのだ。この物語が不条理な展開を迎えるわけでもないのに不条理小説と呼ばれるのは、この物語が生そのものの孕む不条理を描いていたからなのだろう。

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

タタール人の砂漠 (岩波文庫)

■今日もクマ軍団は進軍せり〜『シチリアを征服したクマ王国の物語』ディーノ・ブッツァーティ

シチリアを征服したクマ王国の物語 (福音館文庫 物語)
そんな"無為なる人生"の不条理を描いたブッツァーティが、180度テーマの異なる子供向けの絵本として執筆したのがこの『シチリアを征服したクマ王国の物語』だ。
高潔なるクマ王の率いる山奥のクマたちがシチリアを支配する人間の暴君を打ち負かし、そこでクマと人間の王国を作るのだが、クマ王国転覆を狙う邪な姦計や、クマたちを亡き者にせんとする人食い鬼、化け猫、大ウミヘビなどが次々に襲い掛かってくるのだ。それに幽霊やら仙人やら魔法使いやらが絡み、物語は非常に豊かなファンタジーとして展開してゆく。
さらに本編には作者ブッツァーティが自ら書き下ろしたカラーと白黒の楽しい挿絵が多数挟まれ、これがどれもいい具合にキュートで味わい深いのだ。クマ軍団の華々しい戦闘劇として男の子向けな部分もあるけれども、この挿絵の可愛らしさから女の子にも十分受け入れられるのではないだろうか。物語は全12章でそれぞれにエピソードが用意され、一話完結の続き物の物語のような作りになっているからちょっとづつ楽しめる部分も子供たちにとってはいいかもしれない。クマ王国と奇妙な因縁を持つ人間の占星術師の気まぐれな思惑もまた物語を複雑なものにしている。
クマたちはひたすら勇敢でそして可愛らしくて、オレは始終顔をほころばせながら読んでいたけれども、アイロニーに満ちたラストは楽しいだけの物語に終わらせていない。とてもいいファンタジー文学を読んだな、という気にさせる一冊だった。

シチリアを征服したクマ王国の物語 (福音館文庫 物語)

シチリアを征服したクマ王国の物語 (福音館文庫 物語)